ラプンツェルは振り向かない
僕はただ、あのひとの傍にいたいだけ。
ベットと机に椅子。家具はそれだけの簡素な部屋。机には真新しいノートパソコンが置かれているが、それも今は沈黙を保っている。
窓際に設置されたベットに、片膝を立てて座り、窓の向こう側をじっと見つめるひとりの子供。何を待っているのかなんて、聞くだけ無駄だろう。子供の理由はいつだってひとつで、たった一人だけのものだった。
閉じ込められて、もうどの位経つのか。時間の感覚が狂うほどに、帝人はここに居た。
外は危ないからと聞かされて、自己満足だとも言われて。けれどそれはお願いというには強く、命令と呼ぶには柔らかなものだった。
それでも帝人には拒絶する理由も無かったから、頬に触れた手に擦り寄ることで意を示す。僅かに息を詰めたその人は、無言で帝人の小さな頭を抱いてくれた。
それだけで帝人には十分だった。
コツコツ、
扉を叩く音がして、帝人は窓から視線を外す。言葉を発することなく扉をじっと見つめれば、空白の後開かれた扉の向こうに帝人にはもう見慣れたひとが立っていた。
「こんにちは」
「・・・・・こんにちは」
当たり障りのない挨拶。近づいてくる男の用を尋ねる無駄を、帝人はしない。
帝人が待つただひとり以外で、この部屋を訪れる男は四木と名乗った。覚えたほうがいいのかと、あの人に聞いたら、念のために覚えておいたほうがいいと言われたので、帝人は男の名を脳に刻んだ。
「赤林さんはまだ帰ってこないんですか?」
「今日は、遅くなると聞きました」
「へえ。珍しいですねぇ」
帝人よりもあの人のことを知っているくせに、そうやって尋ねてくる心理を帝人は理解できない。
一つしかない椅子に腰かけ、ベットに座る帝人を男は見つめる。そうしていて何が楽しいのか、聞きたいけれど、聞いてしまったら何かが変わりそうなので、帝人は目を逸らすことで視線から逃げる。
窓の向こうは相変わらず変わりない景色。それでも帝人は退屈だとは思わなかった。
「楽しいですか」
「・・・・さあ、どうでしょう」
帝人の華奢な身体には大きすぎる白いシャツに隠れた細く頼りない足を手繰り寄せる。視線はまだ、逸らされない。
帝人が待つあの人は、必ずこの部屋に帰ってきてくれるから、待ち続けるのはけして苦ではない。けれど、男が訪れるようになった時から、帝人は心の片隅で、あの人の帰りを待ち望むのだ。
(早く)(はやく、帰ってきて)
どうしてかは、帝人にもよくわからないけれど。
ぎしりと、ベットが音を立て揺れる。反射的に目を向ければ、思ったより近い距離に男は居た。後ずさる身体を大きな骨ばった手が止める。
あの人よりも強く、あの人よりは乱暴に帝人を引きとめる手。
細い顎を掴み、帝人の青みがかった眸を覗き込む男の目に、帝人は知らず身体を震わせる。男が笑った。吐息が頬に降り、思わず瞼を伏せる。
「・・・その顔は、いけませんねぇ」
「なにが、ですか」
顎を掴む指が頬を愛撫するように動いた。
親指が紅く色づく小さな唇を辿る。
「男を誘う顔だということですよ」
鼻と鼻が触れ合うほどの距離で、眸と眸が交差した。
「ねえ、竜ヶ峰君」
男から初めて名を呼ばれ、帝人はぱちりと大きく眸を瞬かせる。
幼い仕草に、男はもう一度笑って、唇を形の良い耳に近付け、密やかに告げた。
「そろそろ赤林さんにも飽きてきた頃では?」
笑みと僅かな欲を滲ませた音は帝人の鼓膜を震わせ、脳を刺激する。
慣れた身体は呆気なく快感に震え、白い肌がはんなりと紅く色づいた。
しかし、帝人は薄く開いた唇を綻ばせ、花開くように微笑んだ。
「僕は、あのひとだけのものですよ」
無邪気に、妖艶に、慈しんで、愛おしむように、帝人は触れる男の手をゆっくりと己から引き剥がす。あっさりと離れていく温もりよりも、帝人は窓の向こうへと意識を向けた。
今日は遅くなると告げたあの人だけれど、早く帰ってきそうな気がするのだ。
男が離れていく気配がする。それでも帝人にはもうどうでもいいことだった。
視線はまだ逸らされない。
その意味を、帝人は知るつもりはない。
帝人が、あのひとのものである限り。
知ることは、ない。
だから、
「―――やっぱり、欲しいですねぇ」
落とされた呟きに秘められた全てに、気づくこともないのだ。
作品名:ラプンツェルは振り向かない 作家名:いの