駆け落ちごっこ
池袋の街を、彼は跳ねるように走る。手を握られたままの帝人は引きずられるようにそれに続いた。大通りに出て止められたタクシーに口を挟む余地もないままに押し込められる。続いて後部座席に乗り込んできた男が告げた地名に、帝人はひどく驚いた。帰れないほど遠い場所ではないけれど、タクシーで行くには些か距離のある場所だ。
「臨也さん!」
咎めるような帝人の呼びかけにも彼は笑って返すのみだった。ひとつ息をついて、どうして電車使わないんですかと問えば「嫌いなんだよ」と返ってきた。確かに彼が公共の交通機関を使っている様はあまり想像できないけれど。もしかしていつも池袋に来るときも電車ではなくてタクシーを使っているのだろうか。
「…贅沢ですね」
貧乏学生としては嫌味のひとつも言ってやりたくなるというものだ。男はまた笑って返すのみだった。帝人の藍の瞳が険しくなる。馬鹿にされているようで…いや、対等ではないと言外に告げられているようで、ひどく悔しかった。
「少し時間がかかるから、寝てもいいよ」
ついたら起こしてあげる。その言葉に帝人は黙って瞳を閉じる。眠かったわけではないけれど、これ以上彼と会話を続けることはひどく癪に障ったので。
肩を揺さぶられて意識がふわりと浮上する。瞼を持ち上げて薄く開いた瞳の視界に飛び込んできたのは深緋色。ぱちりとひとつ瞬いて次いで見えたのは楽しげに弧を描く唇。
「おはよう」
「?!」
吐息がかかりそうな距離に他人の顔が―――それも度を越して端正な顔が―――あったことに驚いて飛び起きた帝人に、男はその紅い瞳を瞠目させた後に声を上げて笑った。それはそれは愉しげに。
失態だ。紅くなる頬を隠し切れぬままにぎり、と男をねめつける。そんな帝人に意を介する様子もなく、彼は財布を取り出し決して安くはない料金を支払うと帝人の肩を軽く押し下車を促す。池袋を出たときは茜色だった空はすっかり闇に暮れていた。
そこを訪れたのは初めてだったけれど、その公園の名はさすがに帝人も知っていた。観光地としては勿論のこと、デートスポットとしてとても有名な場所であると、ネットで得た情報にはそう書いてあったはずだ。
その通り、平日の夜であるというのに公園内はそこかしこに若い男女の姿があった。そんな中で成人男性と制服姿の高校生(場合によっては中学生にも見られるかもしれない)という組み合わせはどうなのだろう。そんな帝人の思考を見透かしたように男は言った。
「誰も俺たちのことなんて気にしないよ。恋人達はお互いのことしか見えていないだろうからね」
そんなものかな、と帝人は首を傾げる。目の前に広がるのはテレビやネットで目にしたままの、海の上に浮かぶ煌びやかな夜景。
「だから帝人くんも、俺のことだけ見てくれると嬉しいんだけどなぁ」
「景色を見に来たのに、人の顔ばかり見てるなんて可笑しくないですか? だったら部屋にでも篭っていればいいんだ」
「それはお誘いかな?」
「………」
これ見よがしに深いため息を吐いてみる。戯言ばかりだ。
「……綺麗ですよね。連れて来てくださったことには感謝します。ありがとうございました」