失われた香りが齎した絶望
有無を言わさず呼び寄せておいてと心中でごちて、オニオンナイトは部屋に漂う匂いに気が付いた。
何処かで嗅いだ事のある匂いとよく分からない匂い。
(栗の花…?)
オニオンナイトは思い当ったよく分からない匂いの正体に眉を更に寄せて顔をしかめた、
何処にも栗の花なんて活けていないのに。そう思ったオニオンナイトは寝台に皇帝以外に誰かいるのに気が付く、
影に隠れて姿は見えないが寝台から髪が落ちていた、部屋の燭台の火に照らされて光るホライゾンブルーの髪――。
「ライト、さん…?」
オニオンナイトの呟きに、にやりと嗤い身体を起き上がらせる皇帝の姿に、違和感の正体に漸く気付く。
何も着ていないのだ、あの悪趣味とも思える金欄の装いを脱ぎ捨てていたのだ。
皇帝が身を起こしたから影になっていた場所に光が入る、同じ様に一糸纏わない光の戦士が皇帝の下にいた。
それだけで皇帝が光の戦士に何をしているのかを知り、色々と分かってしまった。
嗅いだ事のある匂いの意味と栗の花の匂いの本当の正体を。
「ど…うして……?」
小さな呟きだったのに、皇帝はそれを聞き逃すなどしなかった。
「何も聞いていなかったのか?」
「言うな、皇帝!言うな…!」
戸惑うオニオンナイトの表情、光の戦士の切羽詰まった制止の声、
その全てが皇帝にとっては愉悦の対象に過ぎない。
「お前に手を出させぬ代わりに、この男は己が身を差し出したのだ。
流石はウォーリアオブライト、大した自己犠牲の精神だと思わんか?」
皇帝の言葉にオニオンナイトは愕然として光の戦士を見る、光の戦士は否定の言葉を言わずただ目を伏せた。
オニオンナイトは一歩、二歩と首を振りながら後退さる。
嘘だと叫びたかった。こんなの嘘だと、しかしそれを叫べる程、自分は愚かではない。
だけど認めれる程、自分は大人ではなかった。
「オニオン!!」
目の前が黒く塗り潰される、何も見えなくなった。呼ばれた様な気がしたがすぐに何も聞こえなくなった。
「オニオン!!」
光の戦士は肘をついて上半身を起き上がらせ名を叫ぶ、
皇帝は緩やかに寝台から降りて椅子の背に掛けてあるバスローブを羽織る。
「意識を失ったか、脆弱な精神だな」
皇帝はつまらなそうに言って、イミテーションを二体を喚び出す。
「連れていけ」
皇帝の命令に従い、イミテーション達は倒れたオニオンナイトに手を伸ばす。
「触るな」
場の空気が一瞬にして凍り付く、その声にイミテーションの手が止まる。
皇帝は振り返り光の戦士を見た。先程から瞳に宿していた静かに燃える様な蒼い焔は何処にも無い、
極寒を通り越した地獄の最下層にあると言われる紅蓮地獄の様な冷たさが其処にはあった。
凍り付いている者達を尻目に光の戦士は起き上がり、
手早く服を着て倒れたオニオンナイトの傍に膝を付きそっと抱き上げた。
意識を失っているオニオンナイトを大切そうに抱き締め、出口に向かい静かに扉を開けて寝室を出た。
扉の閉まる音に凍り付いていた残された者達が動きだす。
その中で皇帝は無意識のうちにか自分の腕を掴んでいた。
オニオンナイトは目を開けた、見慣れてしまった天井にひやりとした空気に牢屋の中だと認識する。
「気が付いたか」
声を掛けられてオニオンナイトは首だけを横に向ける、其処には光の戦士がいてこちらを覗き込んでいた。
「ライトさん…あの――ッ!」
オニオンナイトは起き上がり、何故自分が寝ているのかを光の戦士に聞こうとした瞬間、
脳裏にフラッシュバックで甦ってしまった。あの寝室での出来事を。
「ライトさん、あれは……」
「大した事ではない、気にするな」
あっさりとそう言って小さく笑った、いつもの様に。
「どうして……」
オニオンナイトは俯き、両手を強く握りしめ顔を上げた。
「どうしてあんな約束をしたんですか!?あんな、あんな…!!」
よくよく考えれば分かる事だった、捕虜になればその可能性もあると。
だけど呼ばれるのはいつも光の戦士だけだった、その事に自分は理由すら考えようともしなかった。
「君を守るにはあの手段しか無かったのだ、あれぐらいで君を守れるなら安い取り引きだ」
「――ッ!」
オニオンナイトは光の戦士の膝に手をつき、下から覗き込む様に睨み付けて捲くし立てた。
「貴方は僕達のリーダーだ!そんな貴方が、
どうして僕なんかの為に戦士としての誇りを捨てる様な真似をしたんですか?!
僕なんか見捨ててくれれば良かったのに!!」
「オニオン!!」
光の戦士が声を荒げ手を上げる、叩かれるとオニオンナイトは目を閉じて強張らせるが痛みが来なかったので、
目を開けると頬に手を添えているだけだった。こちらを見つめる表情は厳しいが。
「仲間を見捨てて守れる誇りなど、私には必要無い」
ぼろりと、光の戦士の言葉に涙が零れる。光の戦士は添えた手で涙を拭うが涙は止めどなく溢れてくる。
オニオンナイトが肩を震わせる、光の戦士がその肩に腕を回して抱き寄せると、
声を上げて光の戦士の胸で泣きじゃくる。
光の戦士は何も言わず、ただ不器用にぎこちなくオニオンナイトの背中を撫でていた。
作品名:失われた香りが齎した絶望 作家名:弥栄織恵