フェイクラヴァーズ
?
「やれやれ。坂上君を守る為とはいえ、どうして男なんかと並んで歩かなくちゃならないんだろうねぇ……?」
「そりゃ、こそこそ隠れてたら逆に目立つからだろ」
「僕だってこうしていることによって貴方のような人と知人だと認識されるのは苦痛でしかありませんよ。坂上君のためでもなければとても耐えられません」
「ふん、こっちこそ君みたいな根暗君と同じ空気を吸ってるだけで気が滅入ってくるよ」
「……お前らこんな時に喧嘩してんじゃねぇよ」
たまたま帰る方向が同じだけの無関係者を装って、日野と坂上のふたりから若干の距離をおき、周囲に注意深く気を配りながら、いつものように下らない言い争いを始めた風間と荒井に挟まれて、新堂はうんざりと溜息をついた。
車道を挟んで反対側に目を遣れば、つまらなそうな顔の福沢と、今にもスキップしだしそうなほど興奮した細田が並んで歩いている。
成り行きとはいえ、細田は女の子と一緒に帰るなど初体験に違いない。新堂は思わず心の中で「よかったな、細田」と呟いていた。
「あ」
荒井と憎まれ口の応酬を続けていた風間が、唐突に声を上げる。
「何だよ?」
「見つけたよ、あそこの電柱の陰。あれだろう、ストーカー」
新堂と荒井はそちらを一瞥して、すぐに視線を逸らした。
有名なお嬢様学校の薄い水色の制服姿の女が、般若のような恐ろしい形相で日野達を見つめていたからだ。
「……あんなのに夜中に窓に張り付かれたら、トラウマにもなるよな……」
「物陰から好きな男を見つめる女性というのはいじらしいけど、あれはちょっといただけないねぇ」
「嫉妬に狂った女性ほど恐ろしいものはありませんからね」
「誰かさんを思い出すな」
三人よりも更に後ろで、斉藤と綾小路は互いに少し離れて歩いていた。つかず離れずの微妙な距離感を保って前方を行く日野と坂上を、それぞれ苦々しい思いで眺めながら。
こうして見ていると、楽しそうに笑い合うふたりは、ひどく似合いのカップルに思える。
やがて日野は荒井のシナリオの通りに、さりげなく坂上の手を包んだ。
「ひ、日野先輩……」
「今日は風が冷たいからな。こうしているとあったかいだろ」
「あ、ありがとうございます……」
そんな会話が風にのって聞こえてくるようだ。
驚いたように見上げる坂上の潤んだ瞳、恥ずかしそうに逸らされたそれに、演技だと知りながら心臓を揺さ振られる。
「……ずっとこうしていたいな」
用意された台詞とわかっていても、坂上は顔が熱くなるのを感じた。
「ぼ……私も……」
うるさく騒ぐ心臓に戸惑いながら顔を上げると、日野はこちらをみつめて穏やかに微笑んでいた。
「そこの公園に寄らないか?」
ちょうど通り掛かった神桜公園を示し、日野は繋いだ手の力を強めた。まるで、まだ離れたくないと訴えるように。
「……はい。じゃあ、そこのベンチでお話しましょう」
坂上が腰を下ろすと、日野は「飲物を買ってくるよ」と言って、少し離れた場所にある自動販売機に向かった。
残照も尽きる頃、辺りは既に夜の闇に支配されて、街灯のほのかな明かりが辛うじて周囲の輪郭を浮かび上がらせる。
坂上は、すぐ近くで斉藤や語り部達が見守っている筈だというのに、ひとりぼっちで取り残されたような心細さを感じた。
日野が隣にいる時はそれほど感じなかった風の冷たさが、剥きだしの脚に凍みる。
月明りもビルの光も届かない陰の部分をじっと見つめていると、やがて黒い影が形を成してうごめきはじめた。目の錯覚だと思いながらも、それがこちらに迫ってくるのではないかと怯えていると、ほどなくして日野が戻ってくる。
「どうした?」
あたたかいおしるこドリンクを差し出して、日野は心配そうに坂上の顔を覗きこんだ。
「何でそこでおしるこドリンクなんだよ!?」
「ムードブチ壊しだね。さすが日野だよ」
「日野さんにとってはあれが正解なんでしょう」
ストーカーの死角に潜む三人組がツッコミを入れたが、当然本人達には届かなかった。
「いえ……ありがとうございます」
坂上はおしるこドリンクを受け取り、ごまかすように笑って礼を言ったが、日野はうやむやを許さなかった。
「何があったんだ。お前、寂しそうな顔してたぞ」
「ホントに何でもないですから!」
「何でもないわけあるか。話してみろよ」
「……笑いませんか?」
「ああ」
こちらをみつめる日野の瞳に、普段のようなからかいの色はない。それも演技なのか、あるいは本気で心配しているのか、後者であればいいのにと願いながら、坂上は躊躇いがちに口を開いた。
「あの……あっちの方、暗くてよく見えませんよね?じっと見ていたら、段々黒い影みたいなものが動いているように見えて来て……襲って来るんじゃないかなんて……そんなことあるわけないのに、考えちゃったんです」
こんな何でもないことで怖がるなんて、やはり情けない。話しながら段々恥ずかしくなって俯いた坂上は、日野の表情の変化に気付かなかった。
「──そういえばお前、怖い話は苦手だったな。それなら、暗い所もダメか」
「そう、ですね。傍に誰かがいれば平気なんですけど」
「……ひとりにするんじゃなかったな」
「え……?」
髪をすくように差し入れられる日野の指。その触れ方がいつもとは違うように思えて、坂上は戸惑った。
子供をあやすようなそれではなくて、まるで愛しい者を慈しむかのような優しい感触──。
(これも、演技?それとも……)
「うわぁ、すごい。日野さんと坂上君、本当に恋人同士みたい!って、何そわそわしてるんですか細田さん」
不自然にならないように別のベンチに陣取っていた福沢は、連れの挙動不審に顔を顰めた。
「ご、ごめんよ。ととと、トイレに行きたくなっちゃって」
「行ってきたらいいじゃないですか」
「で、でも、僕が用を足している間に坂上君に万一のことがあったら……」
「大丈夫ですよぉ。細田さんがいなくても、他にも男の人が日野さんも含めて六人もついてるんですから!むしろそんな妙な動きされてる方が迷惑?」
「そんなぁ!」
容赦ない福沢の言葉に傷ついた細田は、ブツブツ言いながらトイレへ駆け込んでいった。
「うっ!」
公園内に足を踏み入れるや、綾小路は顔を顰めた。
「や、やっぱり外で待たないか?」
「え?でも、それじゃあ坂上達がよく見えないっすよ?」
「……数種類の御香を出鱈目に焚きしめたような強烈な異臭がするんだ。これ以上近付いたら気絶してしまいそうだ……」
「えぇっ?」
驚いて綾小路を見ると確かに顔色が悪い。
斉藤は一旦視線を戻してから、公園内にある公衆電話ボックスの中でガタガタと震えながら坂上達を凝視する女を見つけ、恐々と振り返った。
「その臭いってやっぱりアレですか?」
「ああ……」
「硝子張りなのに?」
「隙間があるだろう。それに、その辺に残り香が漂っている」
「……」
試しに息を吸い込んでみるが、何も感じない。
「日野と坂上君が飲んでいるおしるこドリンクの臭いも混ざって気持ち悪い……」