フェイクラヴァーズ
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神桜公園を出て、やがてたどり着いた分かれ道。
「それじゃあ、日野先輩」
「ああ。また明日な」
偽りの恋人達は挨拶を交わすと、別れを惜しむように何度も振り返りながら離れていった。
斉藤は慣れぬスカートの裾を翻し足速に家路を行く坂上の姿をぼんやり目で追いながら、無意識に溜息を漏らす。
何事も起こらなかったと、安堵するにはまだ早い。
「おい、ストーカー女は何処に行った!?」
「え?日野の後を追ったんじゃないのかい?」
「……日野さんの周囲にそれらしき人は見当たりませんが?」
「しまった!じゃあ坂上の方に行ったのか!」
このまま坂上の家を突き止められてはまずい。嫌がらせの矛先が坂上に向かうのは避けなければならないし、坂上の素性が知られては折角の作戦も台なしになってしまう。
坂上は既に角を曲がり、監視者達の視界から姿を消していた。
そこで咄嗟に動いたのは斉藤だった。
「斉藤君!?」
綾小路の制止にも構わずダッシュで角を曲がり、あっという間に坂上に追い着く。
「お前、今日はうちに泊まらないか?」
「えっ!?」
斉藤はわざと大きな声で、何処かに潜んでいる筈のストーカーに聞かせるように言った。
唐突な誘いに坂上は理解できずきょとんとしている。
斉藤は仕方なく顔を近づけて耳打ちした。
「……ああ。でも、急に行ったら伯母さんに迷惑じゃない?」
「そんなことない。うちの母さん、息子の俺より姪のお前の方が可愛いみたいなんだよな。ついこの間も、お前が娘ならよかったなんてぼやいてたし」
「あはは、じゃあお邪魔しようかな」
「何だ、あれ?」
謎のやり取りに新堂が首を傾げると、荒井はひとり合点がいったように頷いた。
「なるほど。斉藤君も機転がきくんですね。従兄妹設定ですよ」
「は?いとこ?」
「このまま坂上君の家に向かうのは危険ですが、『日野さんの彼女』が誘われれば他の男の家に簡単に泊まりに行くような尻軽だと印象付けるのも得策ではありませんから」
「あ、あぁ……そういうことかよ」
「先を越されたね。それなら斉藤の家じゃなくてもつとまるじゃないか。むしろ僕の家の方が近寄りがたさといいセキュリティといい、あいつより相応しいくらいだよ」
風間は悔しそうに言って肩をすくめた。
「早い者勝ちです。気がつかなかったのですから仕方ありません。せめて坂上君が無事に斉藤君のお宅に到着するまで見守りましょう」
「だな」
斉藤だけにいい恰好はさせまい。三人組は燃え上がった。
坂上達が向かった方角から例の異臭がする。綾小路は後を追うのを断念し、きびすをかえしかけた。だがその時、日野の背中を目指して駆けていく福沢を目にし、一瞬の逡巡の後にそちらへ向かうことにした。
ちなみに、細田は未だトイレの中である。
「日野さんっ」
急に呼び止められた日野は不意打ちにぎょっとした。
「うわ。何だよ福沢。今声をかけたら……」
「大丈夫ですよぉ。ストーカーさんは坂上君の方に行きましたから」
「何だって!?」
血相を変えて来た道を戻ろうとする日野を、福沢は慌てて引き止めた。
「あっ、ダメですよ。日野さんが行ったら話がややこしくなっちゃうじゃないですか!」
「……どういう意味だよ?」
「坂上君のお友達が坂上君をお家に泊めるみたいですよ?だから日野さんは安心してください」
「斉藤が……そうか」
沸騰した血が、一瞬にして冷めた。
「やっぱり」
「……?」
日野の些細な表情の変化を読んで、福沢は真顔になった。
「日野さん、もしかして本気で坂上君のこと好きなんじゃないですか?」
「……は?何言ってんだお前。あれは演技だろ」
「ふぅん。じゃあ、自分では気付いてないんですね」
「……」
「それじゃ、報告はしましたから。私は帰りまーす」
「あっ、おい福沢……」
言いたいだけ言って、福沢は来た時と同じように去っていった。
(日野が……坂上君を?)
考えもしなかった──否、敢えて目を逸らしてきた可能性を突き付けられ、綾小路はマスクの下で唇を噛む。
立ち尽くす日野に気付かれぬよう注意を払いながら、その場を離れた。
その夜は無言電話も深夜の訪問もなく、日野はいささか肩透かしを食らったような気分で翌朝を迎えた。
登校時の通学路で坂上を見つけ、まさか朝っぱらからストーカーが見ているわけもあるまいと声をかける。
「おはよう坂上」
「あ、日野先輩。おはようございます」
「お前、斉藤んちに泊まったらしいな」
「えっ、何で知ってるんですか?」
「福沢から聞いた。その様子だと何事もなかったみたいだな」
「はい。正直寝付くまでは怖かったんですよ。窓に女の人がはりついてたらどうしよう!って……笑わないで下さいよ!」
「はは、悪い悪い。斉藤には何もされなかったか?」
「え?」
「……いや、何でもない。じゃあな。また昼に」
「あ、はい……」
最後の一瞬、あからさまに目を逸らされた。不可解な態度に首を傾げながら、坂上は日野を見送った。
「日野くん、ちょっといい?」
一時限終了後の休み時間、クラスメートの女子が強張った表情で声をかけてきた。
「何だ?」
「ここじゃあれだから、ついてきて」
言われるまま向かった先は、人気のない屋上だった。
「あんた、何浮気してんの?昨日あの娘が電話口で泣いちゃって大変だったんだからね!」
開口一番がそれだった。
「ちょっと待て。何の話だ」
「しらばっくれないでよ。付き合ってる子がいるのに後輩に手を出すとか最低!」
一方的な言い分を黙って聞きながら、日野は覚る。
(なるほど。協力者はこいつか)
「お前は確かサッカー部のマネージャーだったな。もしかして……毎朝この手紙を俺の下駄箱に届けていたのはお前か?」
相手の言葉にはつっこまず、一応持ち歩いていた例の手紙を取り出した。
「ああ……うん、そう。あの娘がさ、たとえ幼なじみの私でも日野くんと他の女が話すのは嫌だからって、伝言じゃなく手紙で……」
「中身は見たのか?」
「え?まさか。人の手紙勝手に読むわけないじゃん」
「そうか」
日野は封筒から数枚の便せんを取り出すと、それを【協力者】に突き付けた。
「何?」
「読んでみろ」
「は?何で?」
「読めばわかる」
「……」
【協力者】は渋々といった様子でそれを受け取り、遠慮がちにひろげた。
「……………な、何これ!?」
「お前が幼なじみとやらから毎朝預かっていた手紙」
「嘘っ!?」
「幼なじみの字がわからないのか?」
「……」
「言っておくけどな、俺はお前の幼なじみと付き合ってないし、名前さえ覚えてないんだ。ここ五、六年まともに会って話したこともない」
【協力者】はしばらく手紙に目を落としたまま黙っていたが、やがて深いため息をついて気まずそうに日野を見上げた。
「ごめん。私、とんでもないことの片棒担いでたんだね。毎日あの娘に日野くんの様子伝えたりしてさ……まさかそれをこういう風に使ってたなんて」