フェイクラヴァーズ
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「あ、日野!」
昼休みに入り、いつものように屋上ヘ向かっていると、神田から声をかけられた。
「何か用か?」
「ああ。最近お前とメシ食ってないなと思ってさ。一緒に食堂行かないか?」
「……せっかく誘ってもらって悪いが、先約があるんだ」
「やっぱりな。例のあの子だろ?噂は本当なんだな」
「まあな」
ここで否定したらまた厄介な事になりかねない。日野は仕方なく頷いた。
「まさかお前がこの時期に彼女を作るなんてな。ちょっと前までは受験期に女と付き合うなんて考えられないみたいなこと言ってた癖に」
「そうだったか?まあ、少し思うところあってな」
「心境の変化ってやつか」
「ああ。こういう時期だからこそ、支えてくれる存在がいるということが力になるんだと気付いたよ」
適当にごまかそうとして自然と口をついて出た言葉は、まぎれもない本心だ。
自分には何のメリットも無いのに、むしろ女装などさせられて恥ずかしいだろうに、ストーカーに悩まされる日野のストレスを何とか軽くし、問題解決をはかろうと懸命な坂上の姿は、当初は受験に集中したいだけだった日野の心を確実に揺るがしていた。
穏やかに微笑を浮かべる日野の横顔をまじまじと眺め、神田はどこか嬉しそうに目を細くした。
「そうか。お前、あの子のこと本気で好きなんだな」
「……は?」
「何だよその顔は。まさか自覚ないのか?……でも、安心したよ。自分の事以上に大事に思える子がみつかってよかったな」
「……」
話を合わせる為に頷く事はできなかった。神田といい福沢といい、周囲からはそんな風に見えているのかと思うと複雑になる。
(感情移入しすぎたか)
そうとでも思わなければ、戻れなくなるような気がした。
屋上では既に坂上が弁当を広げて待っていた。まだ一口も箸をつけていないようだと気付いて苦い気持ちになる。
「なんだ、先に食っててよかったのに」
「一緒に食べた方がおいしいですから」
思わず突き放すような言い方をしても、坂上は腹を立てるどころかふわりと微笑んだ。
心臓が騒ぐのは、坂上が女子の制服を着ているからではない。
その表情が、仕草が、言葉が、勉強とストーカー被害でささくれだった心に染みる。
「日野先輩」
「ん?何だ」
今日は日野も弁当を持参している。手早く包みを開いて一口食べたところで、坂上が遠慮がちに声をかけてきた。
「今日は少し元気がないですね。何かあったんですか?」
「……特に何も……いや、そういえば」
「やっぱり何かあったんですね」
「ああ。実はあの女の協力者が見つかってな。そいつの話によると、どうも相手は俺と付き合っていると思い込んでいるらしい」
「えぇっ!?」
「一応説得を頼んでみたんだが、無理だと言われたしな。しかもあいつ、俺とお前の交際も、ただの浮気だと思っているふしがあるんだ」
「そんな……」
坂上は自分の事のように辛そうな顔をして、弁当をつついていた手を止めた。
「……デートしましょう」
「は?」
「今度の日曜日、日野先輩の時間を一日だけ僕にください。浮気じゃなくて本命なんだってことをわかってもらうためには、それが一番いいと思います」
「……お前」
「女の子がデートに着るような私服、倉田さんに借りてみますね!」
「坂上」
「……笑ってください。日野先輩がそんな顔をしていたら、僕まで悲しくなっちゃいますよ」
はっとさせられた。そんなに酷い顔をしていたのだろうか。慌てて笑顔を作ると、坂上は安堵したように吐息を漏らす。
「僕、がんばりますから。ストーカーさんが打ちのめされるくらい素敵なカップルを演じましょう」
「……そうだな。じゃあ、日曜日に最後の作戦を決行しよう」
ふたりは弁当を食べつつ、ああでもないこうでもないと議論を交わしてデートの予定を立てた。
いよいよ文化祭が近づいてきたということもあり、それから週末までは部活三昧だった。
昼休みと帰路は引き続き共に過ごすと、ストーカーはますます嫌がらせじみた行動をエスカレートさせた。
一晩中鳴り続ける電話、ポストに届くようになった手紙──どれも期待していた反応ではない。おかげで日野は寝不足だ。
一度電話越しに怒鳴りつけると、彼女は日野への恨み言から坂上の悪口まで一方的にまくし立てた。
『ひひひひひ、貴方は騙されているのよ……あの女、毎日のように従兄の家に泊まっているんだから。従兄までたぶらかすなんて汚らわしいわ……あんな淫乱、貴方に相応しくな』
これ以上は聞くに耐えない。気付けば思い切り受話器を叩きつけていた。
彼女の言うとおり、坂上は連日のように斉藤の家に泊まっている。家を突き止められない為とはいえ、毎日となると納得できないものがあった。いっそ自分の家に泊めようかと何度思ったことか。
頭から追い出そうとしてもその事が頭から離れず、勉強が手につかない。
日曜日にデートをしてそれでもなお何事もなかったら、泊まれと誘ってみようか。
鈍い痛みを訴え始めた頭の隅でそんな事を考えつつ、日野は電話回線を引っこ抜いて布団に潜り込んだ。
土曜日の放課後、部活前に語り部達や斉藤と綾小路にデート作戦について伝えると、彼らは今回も坂上を守る為についてくる意思を見せた。
軽く打ち合わせをして一旦別れ、部活が終わった後、いつもと同じように女装した坂上と並んで帰途につく。
「坂上……」
「はい?」
「明日のことだが──」
「そのことなんですけど、日野先輩」
「何だ?」
「試してみませんか、キスシーン」
「……えっ?」
確かにいつだったかそんな提案をした。だがまさか坂上の方からそれを申し出てくるとは思わなかった。
「お付き合いとかしたことありませんから、想像してみたんです。自分の恋人が他の人と仲良くしているところを見たらどんな気持ちになるだろうって。きっとすごく悲しいけど、それだけじゃ憎いとまでは思いません。でも……もし、キスシーンなんか目撃してしまったら──」
前方に向けていた視線を日野に移して、坂上は色の無い表情で告げた。
「僕だって、何をするかわかりませんよ」
今日も物陰からこちらを見ている筈のストーカーに口の動きを読まれぬように、小さく囁かれた言葉。
その強い瞳が自分のものであればいいのに。
日野は苦笑した。
「安心しろ。俺は恋人以外の女と手を繋いだりしないし、軽々しく頭を撫でたりもしない。ましてキスなんて……お前以外にするわけないだろ?」
一語一句正確に届くようにと、はっきりとした口調で【セリフ】を紡ぐ。
「えっ、あっ……」
突然の演技に対応しきれずに顔を真っ赤にする坂上を、仕上げに抱き寄せた。
「楽しみだな、明日。お前を独り占めできる」
自分の意思を離れて勝手に動く唇が放つ言葉。これは自分の本心なのだろうか。それとも──。
腕の中の感触を堪能しながらふと顔を上げれば、凄まじい形相でこちらを睨みつける綾小路と斉藤が目に入った。
〈や り す ぎ だ〉