色彩りキャンバス
06.この曇り窓の外であなたは待っているのかな
思い出の話をされた。ルークは居た堪れなくて、出された紅茶に視線を落とす。
ピオニーは何でも話した。のわりに、あまり自分のことを話してないように思った。後ろめたいことでもあるのかな、とルークは考えたけれど、自分にもそういうことはあるので(レプリカ、とか)考えることをやめた。
出された紅茶は、すでに冷めていた。でも、ピオニーは紅茶を無理に勧めない。という彼もさっきから話してばかりで一口も飲んではいなかった。
「なんだ、つまらなそうだなルーク」
「へ? あ、いや、そんなことないです、よ?」
「いや、確かにじいさんたちの昔の話は聞いててつまらん。気持ちは分かる」
どっかりと、態度のでかい椅子の座り方をしたピオニーを一瞥して、ルークはますます畏まったように肩身を狭くした。どうもこの人は、苦手で仕方がない。
話も、さっきから聞いているのに聞こえていなかった。何の話だっただろう、蒸し返されたら大変だ、などとルークは思う。
冷め切った紅茶は不味そうだった。ファブレ邸でも冷めた紅茶は見たことがなかった。
視線を紅茶に落としたままのルークに、ピオニーはひっそりと口元に笑みを浮かべる。椅子に座りなおして、寄ってきたブウサギたちの頭を一匹ずつ撫でて、それから数時間前にここにルークを置いていった人間たちの顔を浮かべた。まあ、約一名は完全にルークで遊んでいるとして。(いつまで経っても性質の悪い大人だ、あいつは)
「ルーク。待ち人来ず、って知ってるか」
「まちびとこず、ですか」
「そうだ。人を待っているのに、来ないこと…まんまだな」
そう言ってからピオニーはまたブウサギの頭を撫でた。撫でられたくてブウサギの些細ないざこざが始まったけれど、ピオニーはすぐに列を直して、一匹ずつなー、と言う。その光景を無視しながらルークは少し考えた。あれ、それって、
「俺のこと、ですか?」
その言葉に、ピオニーが顔を上げた。そして少し沈黙を置いてから、突然笑い出した。
「そうだ、ルークはあいつらを待ってるだろ?」
「え、」
「俺もな、待ってる側なんだ」
笑みを噛み殺すようにしてピオニーはブウサギを撫でてゆく。
彼らはとても喜んでいるようで、撫でられてはまた後ろの列まで戻り、順番を待つようにブウサギの列が出来ていた。
ルークはそれを呆然と見るけれど、ピオニーはまったくその奇妙な列を気にしなかった。もしかしてこれは日常茶飯事、というやつなのだろうか、とルークは首を傾げた。ちなみにこの言葉をずっと間違った意味で覚えていた。ジェイドに言ったら、爆笑された。(たぶん、爆笑。失笑と嘲笑いが混じったような笑い方だった。相変わらず、ジェイドは器用だ)
ピオニーはルークの表情をちらりと見た。それでなにを思ったのか、にんまり笑う。
「ルーク、いまお前は寂しいだろ。すこし」
「……」
「ガイラルディアはお前のためにいるようなもんだもんな」
「話が、飛躍した気がします。陛下」
「おお? 照れなくていいぞー。いいじゃねえか、帰ってきたら寂しかった!て抱きついてみろ、喜ぶぞあいつ」
「……。陛下がすれば、どう、ですか」
ルークは冷静だった。言われた言葉に混乱もしなければ、照れることもしなかった。
何故か、感情がついてこないように思えた。どこまでも客観的でいられる。ピオニーの言葉は届いたのに、ルークは思った。ああ、陛下も寂しいのかな。
ピオニーはブウサギを撫でる手を止めなかった。撫でられているブウサギを、ルークには判別できないけれど、なんとなくきっとあれは心優しい将軍の名前をもつブウサギなのだと思った。
そうだな、とピオニーが唸るように呟いた。ルークは静かにピオニーの横顔を見つめる。
この人がどうして、身近にいる人の名前をブウサギに付けたがるのか、ルークにはなんとなく理解できた。
昔、屋敷にいた時。ガイがなかなか所要の用事で屋敷に帰ってこなくて、ルークは手短な人形に、名前を付けた。我ながらいい考えだと思ったものだ。よく覚えている。覚えていた。
ルークの視線はずっとピオニーとブウサギを映していた。揺れないそれを、ピオニーは一瞥してから、ゆっくりと口を開いた。
「でも俺は、ずっと此処にいるんだ、ルーク」
穏やかな、落ち着いた声だった。
それに応答するように並んでいたブウサギたちが一斉に鳴いた。
ルークは突然の合唱に驚く。そのままブウサギの乱闘が始まった。
ただじゃれているだけだ、とピオニーは説明したが、ルークは座っていた椅子から急いで立ち上がり、出入り口まで非難した。それを見たピオニーは、明るく口元に弧を浮かべ、ルークにひらひらと手を振った。
にかり、と笑い、一言。
「行ってこい、ルーク」
そしてルークは思い知った。
ドアノブに手をかけて、いってきます、と小さく声にする。少しの戸惑いが、声に出た。
そうだ、思い知らなければならない。
あの時、ガイは帰ってきたのだ。待っていたけれど、待ってなんかなかった。だってずっとそれから一緒にいてくれたのに。
俺は、待たせるほうなんだ。
だから、思い知った。帰ってくると約束したかった。でもきっと、待たせるんだ。それだけが確かだ。奇跡なんてルークは信じない。だって自分は消えるのだ。それだけは確かだ。俺は、待たせるん、だ。
「でも、俺は今、寂しいんだな。おかしいよ、これ」
いつか、なんてこなければいい。
だってこんなにも寒いのに、いつか此処からいなくなるのは自分だと、ルークは、扉の前で腕を抱えて自分を抱きしめて、ずるずると蹲った。
待ち人は、まだ来ない。