爛れる子宮
いつも何を考えているのか判らない(判りたくもないが)雇い主の双眸が冷たく細められる。光を遮断したその眼球の奥底にある澱みは酷く冷たくて薄っぺらい。
しかし、それは確実に波江の心臓を鷲掴み、刺し貫いた。弟を愛していた。それは事実だ。今まで生きてきた人生の路の全ては、弟の為にあったものだ。彼の為に、彼の為に。皹だらけになろうとも、波江は弟の輝かしい未来の為に全てを捧げてきたのだ。
でも今は。
「それは過去の事よ。私は今でも誠二を愛してる。肉親としてね」
弟を想っても股を濡らす事はなく、咲き誇っていた愛情は清廉な白百合へと姿を変えた。爛れるような肉欲を抱く相手はもう誠二ではないのだ。
「私は平和島静雄を愛してるの」
波江は自分を叱咤してようやっと言葉を紡ぎ出した。声が震えてる。怖いのだ。目の前の闇が。ぽっかりと大口をあけて自分を飲み込もうとしてる。怖い、怖い。それ、でも。波江は自分を騙す事が嫌いで、自分の心にいつだって誠実でいたいのだ。
「貴方にあの子は渡せないわ。手を引きなさい、折原臨也」
「……なに。それ、本気?」
鵺が夜目を開く。憎悪にまみれた汚い瞳が、波江を初めて捕らえた。
「お前は女の中でも頭がいいと思っていたのにさ、残念だよ。ああ、実に残念だ」
どうして誰も彼も俺からあいつを取り上げようとするのかな。あいつは化け物なんだよ?人間じゃあない。どうして怖がらないんだよ。優しくするんだよ。愛してしまうんだよ。それじゃあ、駄目なのに。あいつは、あいつには、
「俺だけが居ればいいんだよ。邪魔なのは君だ、矢霧波江。手を引くべきは、お前なんだ」
翳されたナイフを避けもせず、波江はその肌で甘んじて受け止めた。恐怖で身体が竦んだ訳ではない。同情心だった。
「……あなたは一生、かわいそうなままなのね」
呟きは聞こえたのだろうか、この、かわいそうな生き物に。
一滴垂れる紅を拭いながら、波江は金色に思いを馳せた。ああ、爛れていく。