啜り泣き
「泣くな、雪村君。君のことだから泣いているんだろう?」
はっきりしない視界の中でも、すぐそこにいるのが千鶴だとわかるのだろう。
山崎の表情がほんの少し和らぐが、話す声はうわ言のようで、目じりには激痛からか涙の筋が出来ていて、額には汗が滲んでいる。
「泣いていません。」
千鶴は震える声を必死に抑える。
痛みを絶える為にこらえる為に何度も握り締めて来たのだろう、食い込んだ爪の作った手のひらの傷は深い。千鶴は山崎の手をとると指を開きその手を握る。痛みを耐えるために立てた爪は千鶴の手に食い込むが山崎は握られている手に、そのことにさえ気づけない。
「俺は死ぬ。」
千鶴は当人から告げられた言葉にひゅっと息を吸い、“そんなこと言わないで下さい”その言葉を飲み込んだ。
「君に頼みたい事がある。」
「はい。」
瞬きをするたびに千鶴の目からは涙がばたばたと落ちる。
「病誌は君に託したい…。出来る範囲で…いい…。」
「はい。」
名に引かれていく黒線。それはもう“いない”人間を表すものだ。
今では、開く項に引かれていない人間を探さないといけない程に人が死んでしまった。
「暇な時に、でいいんだ。」
「任せてください、私頑張りますから!だから…」
生きてください、
その言葉が続けられない。元気そうに振舞いたいのに、涙は止まらない。声はとうとう泣き声へと変わってしまう。山崎は困った笑みをそっと浮かべる。
「雪村君…もう一つ、頼みたいんだ。…頼む、頼むよ。新撰組を。君が皆を支えてやってくれ。局長を、副長を。原田さんを永倉さんを斉藤さんを藤堂さんを沖田さんを。無理をされる人ばかりだ。無茶をしそうになったら君が止めてくれ。」
声は、絶叫だった。部屋の外に控えているだろう面々にも聞こえたに違いない。
誰もが知っている、山崎の誠実さ。死の淵に居ようとも彼は誠実だ。
「はい!」
彼の願いをしかと受け取った千鶴もはっきりと答える。
「ありがとう…。」
そう告げると、痛みが少し和らいだのか千鶴に立てられていた爪から少し力が抜けた。
すまないな…こんな事を頼んで。」
「え…?」
裏腹な言葉に千鶴は山崎の真意を問うべく彼の顔を見る。そして彼の目から止まることなく出る涙にはっとした。
「いつかの君の、芸妓姿は綺麗だった…いつかの着物姿も綺麗だった。君が作るご飯は誰のものよりも美味しかった。…君の笑顔に皆が救われた。ありがとう。」
ありがとう、ありがとうと、何度も山崎は繰り返す。
「山崎さん…」
千鶴は優しい言葉に胸がいっぱいになる。
「君は、幸せに生きるべきである筈なのに」
綺麗な着物を着せ、彼女にあうような愛らしい簪をさしてやりたかった、そんな暮らしにおいてやりたかったのに、俺は重荷を負わせてしまった。そう言って、託した願いに彼は悔い、泣くのだ。
「私は幸せですよ。皆さんと、山崎さんと居られて幸せなのです。」
着物なんていらない、簪なんていらない。此処に居たいんです。そういって千鶴も泣く。
千鶴の言葉に嘘偽りは無い。両の手で彼の手を包み込むとその手に額を押し付ける。
「俺は弱い…変若水を飲むことも出来る。しかし…その勇気も無いんだ。」
「副長の役に立てるならば飲むことも出来るはずなのに」
俺は飲めないんだ。
「君を守ることも出来るのに」
“怖い”のだと。彼はすすり泣いた。
部屋には二つの啜り泣きがあった。