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飛んで行けない話

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山本の、野球の試合の応援に行った帰りだった。

 山本は試合が終わった後、そのまま打ち上げに行ってしまった。獄寺君は用事があって来ていない。一緒に打ち上げに行かないかと誘ってくれたけど、それは丁寧にお断りしておいた。
 延長十二回の末のサヨナラ勝ち。
 一つのミスも許されない、ツーアウト満塁。それを必死で乗り越えた部員達と、手に汗握って応援していた俺じゃ、同じ時は味わえていても同じ熱は感じられない。
 打ち上げに行っても、今日のヒーローだった山本の友達として、応援した人間として歓迎されるだろう。
 それでも、同じ目線で試合を語れない疎外感があるだろうし、山本が俺を気にしていたら、他の部員達にも悪い。
 だから俺は断って、並盛に帰る電車にひとりで乗った。





 カタンカタンカタン

 二時過ぎの電車は酷く空いている。
 下校にも退勤にもまだ早い車内には、お年寄りや、小さな子供を連れた母親がぽつぽつと座席を埋めているだけだ。
 俺は、一際大きく空いていた座席の真ん中辺りに腰掛けて、ぼんやりと窓の向こうに広がる景色を見つめていた。

 そういえば、ひとりきりなるのはとても久しぶりのような気がする。
 昔は何時だってひとりが当たり前だった。なのに、ひとり、ふたりと寄って来て、気づいたら周りは賑やかになった。

 綱吉がほうけた顔で見つめた先で、ぽつぽつと寂しげに建つ家が流れて行く。
 まるで青の絵の具を水で溶いたような、薄青のどこかからっぽな空。
 胸の真ん中辺りにひゅーっと風が吹く感じがした。
 いつの間にか、ひとりは寂しいとイコールになってしまったんだ。
 それは、弱点が増えたみたいで、強くなれたようにも感じる。
 どっちだろうと首を捻りなが、ついでにそのままぐるりと車内を見渡した俺は、思わず固まってしまった。
 向かい合った座席の向こう側。一番端っこに、見慣れた真っ黒な学ランを見つけてしまった。
 そのまま欠伸をしようと、開きかけた口を慌てて閉じて、俺は端っこの席に目線を固定する。

 なんでこんな所に。
 いつものバイクはどーしたんだ。
 遠出するなら、黒塗りのおっかない車とかってイメージだったけど。
 電車なんて乗れるんだ、あの人。

 回転の遅い俺の頭が、珍しく次々に疑問を投げて行く。
 驚きすぎて、無遠慮に視線をやっているのに、気づかない訳はないはずだが、気にもしていない。
 少なくはあるけど、それでもあの人から見れば多くの人がいる車内。雲雀さんは姿勢よく座席に収まって、トンファーを取り出す事も無く、開いた文庫本に視線を落としていた。

 夕方にはまだ遠い、でも傾きはじめた日の光が、雲雀さんの黒い髪をキラキラと照らしている。
 青い座席に白い車内。光に照らされてますます眩しく見える中に、上から下まで真っ黒は異質だ。纏う、何者も寄せ付けぬ雰囲気のせいか、お年寄りの小さな雑談と、子供のぐずる声のある、電車内という日常の中で、そこだけ一枚の絵のように完結して見えた。

 その凶暴さを知っているから、普段は間違っても思いもしないけど、黙っていればまるで別人。一体どこの文学少年だと――勿論口には出せないけど――叫んでしまいそうだった。

 見とれたのと違和感と、思わず相手が誰だかも忘れて熱心に見つめていると、不意に顔が上げられた。
 切れそうに鋭い視線が、迷った様子も無く真っ直ぐに俺を射抜く。
 ひいっと喉の奥で悲鳴を上げた俺に、なに? とキツイ声がかけられた。
「視線が煩わしいんだけど。何か用」
「へ、え、あ……何でもない、です」
「うそ」
 うそじゃないです、見とれてただけなんです。
 そんな事言える訳も無くて、右に左に視線を漂わせた後、口の中で呟くような小さな声で、何の本読んでるのかな、て思って。と漸く言った。
「ふーん」
 信用してない声で頷いた雲雀さんは、それでも表紙を傾けて来た。
「へっ、あ」
 せっかく表紙を向けられても、席が離れているから題名を読むことができない。
 席から見を乗り出してもまだ遠くて、ちょっと迷った俺は、ドキドキしながら雲雀さんの、ひとつ空けた隣に腰を下ろした。

「つ、つち……さ」
「土 佐日記」
 漢字に詰まっていると、雲雀さんは呆れ顔で正しい読み方を教えてくれた。
「土 佐で働いてた男が、故郷に帰るまでの日記」
「へえ」
 俺が山本や獄寺君といない時、雲雀さんは案外優しい。群れてるのが嫌いってだけで、この人は案外、本質的には優しいんじゃないかと思ってしまうほど。
 今も、俺がわからないのを教えてくれたし、本を傾けてくれた。
 その優しさに甘えて、そっと覗いてみたけど、日本語なのに日本語じゃないみたいに書かれていて、さっぱり理解できなかった。
「古文、ですか?」
「そう。習った筈の話だけど」
 残念ながら、授業のほとんどを聞かない、聞いてもわからないでいる俺には、習ったと言われても思い出せない。分かる言葉で書かれてる現代文にだって躓いて、古文や漢文なんて最早外国語。英語と同じ並びだ。眠ってしまった授業の方が、もしかしたら多いかもしれない。
 えへへと誤魔化すように笑って、どこかわかる処はないかと、開かれたページを目で追った。
「はね……飛ぶ?」
「ちょうど羽根という場所にいたらしくてね。子供が、羽根のように飛んで、早く都に帰りたいと言い出したんだよ」

「へ、え」
 子供は、いつの時代でも無邪気なんだなあ。
 そんな事を考えて、まじまじとページを見つめていると、斜め上から痛い程に視線を感じた。そろそろと見上げれば、雲雀さんが真っ直ぐに俺を見ている。
「君は、どこに帰るの?」
「へ? 並盛、ですけど」
 ガタンガタンと、電車は揺れて走っている。
 雲雀さんの席はちょうど太陽の方で、見上げた後ろに光が差し込むのが見えて、眩しい。目を細めて、それでもそらさずに雲雀さんを捉えた。

「君は、何時かどこかへ行ってしまうんだろ?」

 俺はもう、正式に十代目を襲名してしまっている。
 今はまだそれだけで、実質的には九代目が動いてくれているけど、何時イタリアに呼び出されるかわからない。卒業まで待ってくれるかもしれないし、一週間後かもしれない。
 リボーンは何も言わないし、俺がこうやって、自由に友達と出かけるのだって黙認してくれている。
 でももう、リボーンに言われなくても自分の意思で、どんな時だってグローブと指輪は持ち歩いているし、明日急にイタリアに行くと言われても、分かったと言えるくらいには、覚悟をしている。

「君は、何時かどこかへ行っても、またここに戻って来るの?」
 並盛こそが、君の故郷だってわかってる?
 どこへ行ってしまっても、必ず戻って来るんだよ?

 雲雀さんはそう言って、俺の頭をふわりと撫でた。
 それは送る者の言葉で、送る者の態度であり、一緒に来てくれる人の言葉でも態度でもなかった。

 俺はもう、ひとりだってひとりぼっちにはなれない。
 何時だってたくさんの人がいる、いてくれる。
 獄寺君も山本も、お兄さんでさえもイタリアに一緒に来てくれると言っていた。
 それでもそこに、この人は来てくれないらしい。

 電車はゆっくりと減速して行く。
作品名:飛んで行けない話 作家名:桃沢りく