愛
※静雄がED。
今度は鳩尾付近に拳が落ちてきた。末梢神経の端から端まで神経線維が支配したかのように、いたみしか感ぜられなくそれからは何も生まれなかった。腹部に衝撃を覚えたかと思えば、次には背部が痺れ、胸部にはもうほとんど感覚がない。口を開いてしまえばセキを切ったように喀血した。血は噴き出ることもなく、だらしなく下顎を伝っていった。
きっと今受けている暴力は後に形として残り、そこからは体の部位がどのように傷つけられ、どのように異常事態になっているかが事細かに分かるだろう。
けれど今は雄笑いなことに単純シンプルな感覚しか浮かんでこなかった。
くるしい。つらい。いたい。いたい、いたい。
彼だったら感覚を完全に失くならせることも容易なのだと思っていた。しかしどんなに蹴られ殴られ虐げられてもこの感覚が失せることはなかった。
臨也はなすがままに地面に叩きつけられた。もうこうされてどのくらいの時間を経たのだろうか、今日はおしまいか、まだか、葛藤を繰り返す暇もなく、臨也に馬乗りになっている静雄の血にまみれた手が首根っこをガシリと掴んだ。だんだんと呼吸が難しくなる。静雄を前にしてこんな方法で息絶えるなど、そんなことは有り得ない。さらに力は加えられ、静雄の顔面が近づいてきた。
一瞬、力が緩められたかと思うと臨也の耳元まで落ちてきた静雄の、かすれた声が小さく小さく吹き入ってきた。
「……悪ィ」
臨也はもうほとんど動かしているのかも分からない腕を上げ、両手で静雄の頬を包んだ。かすかに口角が上がる。その僅かな動作すらも痛みが伴い、そうだ これは証なのだと幸福感に満ちた。
「いいよ、シズちゃ、」
この行為も痛みも虚しさも全て、全てが。
時が止まったのは本当に心ばかりのもので、また静雄の拳は臨也を傷つけていった。せっかく上げた臨也の腕が再び地に着く。頬は赤く腫れ上がり、先日受けた怪我の上から更に上書きするように殴られた。
不意に、雨が降ってきた。ポツリ、ポツリ。今はどこにいるのだったか。視界が上まで届かない。だけど空は見えず、色彩は天井のそれだった。
静雄に強打される度にその力の方向へ従順に顔は打ち付けられる。その合間にも水滴は垂れて来る。
ポツリ、ポツリと、塩辛く。雨はやまない。
「い、いよ。……いいよ」
許そう。いや、そもそも許すなんて概念は存在しないのだ。彼がこうするのは当然のことなのだから。
救いを捧げよう。こうなったのは彼が誕生したときから定められた運命だったのだから。
行為が出来ない二人に残されていた道。生殖器としての意味を持たない静雄のそれは最早臨也には必要なかった。変わり。その変わりに受ける傷。マゾヒストではないのだ、快楽には程遠い。それでも静雄から与えられるものということに、変わりはない。
セックスやキスだけが愛を伴う行為だと誰が定めた。互いの温かみを感じることが愛なのだと思ったことは一度もない。
静雄が臨也に暴力を奮うのは。
今日も自分が立てなくなるほど傷つけられるのは。
いつしか本当に息絶える時が来るかもしれない。それでもいい。自分の存在がなくなったら、きっと彼だってその存在を消すだろう。
分かっている、だからどうか、そんなに謝らないでと、声が届くことは一生ない。何故謝るの。何故そんなに悲しそうな顔をするの。
「……愛してくれて、いるんでしょ」
ごぷり。戻ってきた吐き気が二人の身体を汚した。