初キスは〇〇の味
その表現が一番当てはまるだろう。
やってしまった。
その表現が一番当てはまるだろう。
「佐藤君……今のって?」
「あぁ、その……」
どこから説明しようか。
何故か八千代を肩車をしていた俺は降ろす時にバランスを崩し倒れてしまった。
八千代には怪我をさせなかったものの、その代償として頭を打ったんだ。
それに罪悪感を感じたらしい八千代は膝枕をしてくれていたんだが……
俺が馬鹿な事をしてしまったせいでこの事態になっている。
「なに? 言ってくれないと解らないわ」
「いや、だから」
今もなお膝枕を続行中の八千代は割といつも通りの表情で俺を上から覗き込んでいて。
今もなお膝枕をされている俺はした事の重大さと性急さ加減に混乱しながら八千代を見上げていて。
「佐藤君は私の事、好きなの?」
「すまない八千代。今お前の後ろにいる幽霊に……」
「私だってそうじゃない事ぐらいは解るわ」
さっきから顔色は変わっていないが怒っているのか……?
そりゃああくまで友達として好きな奴にあんな事をされて、幽霊をダシに言い逃れされたら怒るよな。
少し前の自分を殴ってでも止めてやりたい気分だ。
「さとーくん。あのね、私は怒ってなんかいないわ。怒っていないけど、何を思ってさっきの言葉を言ってあんな行動をしたか、それだけが知りたいの」
まるで小学校の先生ような言い方だな。
それなのに膝枕をされて八千代を見詰めた上でのこの状況で俺は、まるで他人事のように冷静だ。
諦観か? 達観か?
違う。
決意か。
今になってあの時の決意がこんな形で活かされるとは……タイミングを選べよ……
「頭、まだ痛む?」
「もう大丈夫、だと思う……」
話が変わった。いや、変えられたのか。
情けないな。
言う事言って、やる事やって。何も答えられなくて、話を変えられて。
「本当に? 無理しちゃダメよ?」
「ああ、大丈夫だって……ここまでしてもらっておいて悪いが、先に行っていてくれないか?」
挙句には看病をしてくれたのに、顔を見たくないと言っているのと同じ事を言ってしまった。
本当に情けねえよ。
何とか体を起こして椅子に体を預ければ変わらず頭の痛みが主張してくるがこの際、何でもないフリをするしかない。
座ったままの八千代が俺の顔を心配そうに見ているのが分かるが、今の俺には余裕なんて残っていない。
あるとしたら二重の自己嫌悪だけだ。
「じゃあ……行くわね」
「本当にすまん。俺もすぐに行く」
すぐ行くどころか帰りたい気分だ。その前に煙草と胃薬だが今回はどれくらい飲もうか。
致死量まで飲んでも足りないくらいだ。
八千代が立ち上がり休憩室から出て行こうとして……
立ち止まった。
振り返る事もなく、また歩き出す事もなく、少しだけ俯いて。
立ち止まっていた。
真意が量り切れない行動に堪えられず話しかける。
「やち……よ?」
「嬉しかった」
「え……?」
「初めて好きって言われて」
「……」
「杏子さんや美月さん達にも言われた事はあるけど、男の人にあんなに真剣に言われたのは初めて」
「……」
背中を向けたまま顔だけ上げた八千代は滔々と語り出した。
それは今まで聞いた事のなかった、まったく澱みのない八千代自身の言葉だった。
「それに」
「……それに?」
「初めてのキスだった」
言われた瞬間、ドキリとした。
あぁやっぱりか、と。そして、やはり取り返しのつかない事をしてしまったのか、と。
そう瞬時に読み取り、その後、瞬間。
振り返った八千代の表情を見て、またドキリとした。
「すごく嬉しかった」
こちらに体ごと振り向いた八千代の顔は。
今まで見た事のない、照れていながらも喜色満面に満ち溢れた表情だったから。
「八千代……?」
「けど苦かったわ」
「な……にが?」
「私の初キス、苦かった。きっと煙草の味ね」
「!」
「ふふっ、じゃ私行くから。無理しちゃダメだけど早めにね」
八千代は最大級の笑顔と言葉で俺の心を蹂躙していった。
まるで嵐のように。
八千代が出て行き俺一人取り残された休憩室は静まり返っていて。
まるで嵐の後のようで。
どうすりゃ良いんだ? あの笑顔は? あの言葉は?
そういう事なのか? どういう事なんだ?
何も言わない俺に業を煮やしたと思っていたらいきなりのあれで……
……肝心の返事は?
焦って考えが纏まらん!
落ち着こうと胃薬を一気に口に含み噛み砕いて飲み下し、煙草に火を点ける。
半ば日課になっている一連の行動のおかげで条件付けのようになっている体は冷静を取り戻しつつあった。
キッチンやフロアの喧騒がやけに遠く鈍く聞こえてくる。
どういう顔で戻ろうか。
どういう弁解をしようか。
どういう意味なのか訊いてみようか。
早めにと言われたが、煙草はまだまだ燃え尽きそうにない。