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覚めない夢

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なんてひどい奴なんだと思った。ただ、そう思っただけだった。

 現代になり気付けばいつの間にか出来ていた弟は、なんだかんだといいながらもイギリスの邸宅に顔を出し、それから時折だったが甘えるような仕草すら見せてくれる。もちろん、それは子供特有の甘えであって自分ひとりに向けた愛情なんていう大仰なものではないと知っている。
 未承認だと言っても、少年は確かに国土をもった人ならざる存在なのだ。それも、英国の置き土産。たかだか海上要塞とはいえ、誕生に影響を与えたのは英国のものなのだから、少年のなかに消えようの無い同根、依存の意識があるはずだ。愛情、まではいかずとも、親近感くらいは感じるのだろう。少年の甘えは、そんなところからきている、そうイギリスは思っている。イギリスという個人であるから好かれているのだとは思わない。ただ、どうあっても嫌いきれることも無いのだと知っている。

 自分は、人としての感情がまったくもってうまくないと思う。しかしもう千年以上生きたし、いい加減に自分のそういう不自然さにも諦めがついていた。そして、それ故に孤独で、誰よりも強くなれた。
 外交とか、戦争とか、狡猾に浅ましくならいくらでもなれる。けして他者を信用せず、裏切るのなんて赤ん坊の手を捻るよりも簡単なことだ。この身体が流す血は己の抱える民のもので、この手はひどくひどくたくさんの命を屠ってきた。また、これからも。
 生まれたときからそんなことばかりだった。自分はおかしい。隣国である男は愛の国などと呼ばれて愛を語るのだから、ただ自分だけがおかしいのだ。国であるということは言い訳にもならない。彼らはどうして愛を知ったのだろう。自分は誰にも教えられなかった。それともこれは自分で獲得していかなければならないものだったのだろうか。生きるためとは別に、誰かを愛し愛されることを、誰彼と同じようにするには。
 愛情とは、愛しいと思うものなのだろう、そう思ったことがあった。しかし、隣国の男はそれは少し違うなと言った。自国の民は押し並べて愛しいと言ったら、それは違うな、と。それも愛情の一種ではあるけど、これはおれらに課せられた本能だ、おまえという個人のものじゃない。そうどうしてか切なそうに笑った。もしそのなかに特別に愛しくて、焦がれるように思い出す人が居るなら、それは愛情だけれど、とも言った。

 それから何百年も経って、その言葉の意味を知った。特別に愛しくて、焦がれるように思い出す人。人ではなく国だったけれど、これは、愛情なのだろうと知った。枯れたはずの涙は頬を伝う、それほどまでに熱く強く、強烈な感情を知った。腕のなかにあるあたたかく小さな体温を、もう離してやるものかと精一杯抱き締めた。
 手は振り払われ、自分はまた平坦になったような気がした。なにか、もう大切なものはすべてごっそりと抜け落ちて、ただ空っぽで渇ききったような気分だった。実際はそんなことはなく、ただまだ生きていかなければならなかったが。
 そこで、あいつはなんてひどい奴なんだと思った。自分はとにかく弱くなってしまったのだ。心が、脆く悲鳴をあげる。振り払った手に縋る夢をみて、知らぬうちに泣きながら目を覚ます。一年のうちには必ず苦しい思いをする期間だってあるし、およそ愛情というものに対する希望らしいものはなくなった。知らず知らずのうちに身体も精神も憔悴していく。それでも時間は流れ、いつしかとうとう擦り切れて、そういう一切を忘れた。忘れることにした。そうでなければ、弱いまま、それでは生きていけないと考えたのだった。


 少年はよく家に来ては好き勝手にさまざまなことを要求し、自由に過ごし、そうしてちっぽけな己の領土に帰ってゆく。ママ、パパと呼ぶ国のある北欧のもとへ帰ることも多い。イギリスは、図らずも自分から生まれたその少年を嫌いになることは無い。手前勝手な責任感から教育的指導だってするし、家族の真似事もする。慣れないから不器用なことばかりしてしまうが、これでも一生懸命接しているつもりだ。自分はもう愛情の与え方もその感覚すらも忘れてしまったから、きっとうまく出来ていないのだと思う。或るいははじめからそんなものは知らなかったのかもしれない。…それでも、自国の民に感じるようなものはある。昔、愛情ではない、と言われたそれだけ。

「おれは、君を、好きなんだ。…愛してる、んだ」
 いつものように苛々してしまうようなやり取りをした後、その男は、不意に真面目くさった顔をして、そう言った。ばかにしてんのか、笑えないジョークだな。咄嗟に本心から出た言葉に、気を悪くしたような少し照れたような、そんなふうに眉を顰めて、真面目に聞いてくれと手を伸ばしてきた。からかいとかじゃないから、本当だから、と付け足して、信じて、と言った。あの時確かにこの手を振り払った、その時こちらを見ていた、青い澄み渡った青が、真っ直ぐに向かっている。そう気付いたときには、逃げ出していた。もう無我夢中だった。触れそうになった大きな手を自分でも驚くほどに強い力でたたき落とした。敵前逃亡は矜持が許さないのに、そんなことはすっかり頭から飛んでいてもう何から逃げているのかもわからないくらいに混乱しながら走った。できるなら、この世界に居たくなかった。いっそ死んでしまいたいとさえ思った。
 ひどい、ひどすぎる。なんてひどい奴なんだと思った。あまりにも残酷な男だ。振り払った同じ手で、触れようとした。離別を告げたその口で、愛を囁いた。
 失って、臆病になった自分が忘れてしまったそれを、あの男はもっているのだ。そのことが、いちばんひどいことだと思った。
 もう求めようと思えないくらい、それくらいに怖かったのに。夢現に見る過去の別れは、忘れきったはずの今も不意に訪れては自分を縛り苦しめる。まだ、それだけじゃ足りないというのか、あの男はまだ自分を惨めにするのか。


 少年は退屈したのか、今はイギリスの膝を枕に寝入っている。さらさらとして柔らかな髪を梳いてやると、だらしなく開いたくちからちいさく吐息がもれた。頬はあたたかな室内の温度に、ほんのりと赤く、健康的な寝顔だった。
 あの男は知っているのだろうか。自分が、こんなにも優しい手つきで髪を梳くのに、その心は空虚で歪んでいるということを。
 ――なあ、これは愛情じゃないんだよ。それがどれだけ虚しいことか、おまえにわかるのか?
 ぽたり、少年のまろい頬に水滴が落ちた。強く刹那に駆け抜けてしまったあの愛情を、知らないままでいたら良かった。永遠に、同じように、何も変わらないままいたら良かった。
 あの瞬間がどれほどにこの心を満たしたか、本当に、どれだけの喜びを感じたか。
 ――怖い、悲鳴が出そうなくらいに怖いさ。……おまえは、ひどい奴だ。もしおまえに慈悲でもなんでも、そういうものがあるんなら、これ以上おれのことを苦しめないでくれ。
 冷えた水滴の感覚に不快さを感じたのか、少年が目を閉じたまま、濡れた頬を膝にすりつけるように身じろいだ。

 慌てて目元を拭い、きつく目を閉じた。
作品名:覚めない夢 作家名:佐藤