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ただ愛しているだけなのに

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「小鳥遊と何話してたんだ」

佐藤くんの家に着くなり、待ってましたとばかりに投げかけられた言葉。
また、だ。
常より低い声が、俺の身体に浸透していくと同時に、反射的に芯から震えが湧き起こる。
思わずごくりと唾を飲み込んで、ぐっと拳に力を入れる。

「何って、普通の世間話だよ」

にっこりと笑って見せるけれど、引き攣っていることが自分でもわかる。
こちらが笑顔を作れば作る程、目の前の彼からは冷たい空気ばかりが溢れ出す。
冷や汗がつぅっと顔の輪郭をなぞって零れ落ちる。
どうか穏便に事が済みますように、と願いながらも、いつものようにそれは叶わないんだろうなぁといやに冷静に考える。
しばらく黙っていた佐藤くんが、一歩前に踏み出したのを認めた瞬間に、がんっと強い衝撃が頬を襲う。
そして、その勢いのまま、すぐ後ろにあった壁に思い切り背を打ち付けた。
前と後ろ両方の痛みに顔を顰めていると、佐藤くんが冷めた目で俺を見下ろしていた。

「えらく楽しそうだったじゃねぇか。俺といるよりも楽しかったか?」

「そ、んなことないよ!佐藤くんといる方が、何倍も楽しいし嬉しいよ?だから、ね?怒らないで?」

少しでも彼の逆鱗に触れぬよう、努めて笑顔で振舞う。
しかし、却ってそれが気に障ったようで、もう一発先程より強めに拳を叩きつけられた。
一回、二回、三回…
痛い、イタイよ、佐藤くん、やめて

「ごめ、さとーくん、ごめんっごめん、なさい、ごめんなさ、」

怯えた瞳で金色を見上げ、呪文のように同じ言葉ばかり繰り返し呟く。
それだけが己にできる唯一の防御策だから。
がくがくと震える身体を支えきれずにその場に崩れ落ちる俺に、佐藤くんは我に返ったといった様子で大きく目を見開いた。
そして、恐怖に身を縮こませている俺の前に膝をつき、その両腕を迷いもなく俺に向かって差し出した。
有無を言わさず抱き寄せられて、少しだけ息を詰まらせる。
しかし、彼の温もりがあまりにも優しくて、先程のことなど忘れたかのように、彼に自分の全てを託した。
しばらくそうしていると、震えていた身体が少しだけ平静を取り戻す。
反対に、抱き締めてくれている彼の方が、少しだけ身体を震わせていた。
それは、悲しみからくるものか、怒りからくるものか、俺にはわからないけれど。

「謝るのはこっちの方だ、ごめん、ごめんな」

か細い声が鼓膜を震わせる。
きっと、彼を知っている者なら驚くであろう、悲しげで切なげで、今にも泣き出しそうな涙声。
そして、頼りなく囁くように絞り出される声音。
俺は、耳元でその言葉を何度聞いたことだろう、二桁を過ぎたあたりで数えるのを止めたからわからない。
いつも、いつもいつも、俺を殴った後はこうして優しく抱き締めて、ごめん、と只管謝罪の言葉を述べられる。
そして、壊れた機械のように、何度も何度も繰り返し呟くのだ。


(俺たちの世界は、いつから狂い始めたんだろう)

呪文のような言葉を耳に入れながら、ぼんやりと頭の片隅で考える。
ただ好きだった、ただ愛していた、それだけなのに、何がいけなかったと言うのか。

でも、これだけはわかる。
きっと、俺も佐藤くんも、もう後戻りは出来ない。
この感情も、狂った生活も、何もかもが日常と化したこの世界で、出来ることと言えば_

「佐藤、くん、大好き。愛してるよ」

「相馬…俺も、好きだ。一生、離さねぇ」

薄っぺらい愛の言葉を吐いて、お互いの存在を確かめ合う。
ぎゅっと一際強く抱き締められ、いっそのこと、このまま二人で溶けちゃえばいいなんて馬鹿な事を考え一人嘲る。
だけど、どんなに願ったところで、現実はそれを叶えてはくれない。

きっと、二人が生きている限り続く狂った日常、そんな果てしなく長い道のりをぼんやりと考えていると、いつの間にか佐藤くんの唇が俺のそれにそっと触れていた。
抵抗するはずもなく受け入れることを選択した俺は、ゆっくりと目を閉じる。
愛に溢れた優しい口付に、涙が零れそうになった。
作品名:ただ愛しているだけなのに 作家名:arit