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深紅に染め上げて

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 レポート用紙に、ぎっしりと整列させられた手書き文字。事象をベースに、自分なりの分析も含めたレポートはまずまず纏まった。タクトが眺めているそれは、LAG内の訓練設備改善に関するレポートだ。一旦息を吐こうとレポートから目を外す。深呼吸すれば、窓から差し込む潮風が体内にゆっくりと入り込む。漂う熱気を縁取るようにして漂う風。瑞々しさを殺いだリュウキュウの空気は存外心地良いものである。あと一息だ、と心の中で呟いてから伸びをする―――同時に名前を呼ばれた。
 タクト。背後から耳馴染みのある声音、焦らすような低い声。声の持ち主の姿を思い浮かべながら、相手の名前を口にする。
「ヨウスケ」
 名前を口にしながら振り向けば、相変わらずの仏頂面。予想していた人物の顔を改めて視界に入れる。ヨウスケが来訪していた事を思い出す。
 調理室が利用できない夜間帯、ヨウスケはタクトの部屋にいる事が多い。不必要な慣れ合いは嫌いなタクトだが、ヨウスケに関しては別だ。ヨウスケは基本的に過剰な干渉をして来ない。そのせいかタクトは、部屋に入り浸るヨウスケをある程度好きにさせている。幼い頃から同じ空気を吸ってきた所為か、なんだかんだで波長が合うのかもしれない。
「…レポートは進んだのか?」
「そこそこ順調、という所だな」
「そうか」
 肯定の言葉の後、ベッドに突っ伏せていたヨウスケは起き上がり、タクトの元へ歩み寄ってくる。数秒の間。作業机の前に座ったままのタクトに多い被さるように迫るヨウスケ。その唇はタクトの名前を呼ぶ―――至極、熱っぽい声音で。
 突然の出来事に目を見開くタクト。息を吐かせぬままに追撃、べろりと耳朶を舐められる。まるで動物がするような所作に、思わず絶句。高鳴る鼓動、心臓の音は警笛よろしく鳴り響いている。波長が合うだなんて―――前言撤回だ!
「なんなんだ一体!お前の…そういう、唐突なところが嫌いだ!」
 声を荒げてみるも、タクトを追い詰めたヨウスケの視線は揺るがない。見慣れた青の双眸は、微睡みながらタクトを射抜く。流されてしまいそうで、タクトは咄嗟に目を逸らした。
「理由なんてない。ただ、そうしたかっただけだ」
「全く…お前はいつだってそうだ、他人に何かを伝えるときはちゃんと筋道を立てて話してくれないと理解に苦しむと何度言ったら分かるんだ?大体この間も…」
 頭に浮かぶ台詞を形振り構わず口にする。饒舌になればなるほど、タクトの中で渦巻く熱を逃がす事が出来るような気がしたからだ。ところがタクトの努力も空しく、必死に言葉を紡ぎ出す唇はいとも容易く封じられてしまう。外気に触れられなかった言葉は、ヨウスケの喉奥に吸い込まれていく。
 平熱より高い温度を持った舌は傍若無人に彷徨い始める。放出し損なった熱に新たな熱が触れ合って、化学反応―――意識の奥底に眠る劣情が掻き立てられる。タクトの身体を舌から焦がすのだ。歯列をなぞられる感触に背筋が粟立った。このまま解け合ってしまうのではないかとさえ思わせる、錯覚。
 やっとの事で解放された頃には、息も絶え絶えになっていた。タクトは息を整える。予想だにしない展開のお陰で、思考回路はすっかり焼けついていた。
「…嫌だったか?」
 ヨウスケの問いに、タクトは答えない。正確には、答える余裕がなかった。停滞する空気。返事の代わりにどうにか溜息をひとつ滑り込ませると、ヨウスケはこちらの顔を覗き見た。何故か捨て犬よろしく、心底悄げたような顔。先述の―――脳みそを溶かしバターにでも仕立て上げるかのような、激しいディープキスをする人間の顔とは思えない。
「お前と違って…俺は、相手に何かを伝えるのは苦手だ。考えれば考えるほど、分からなくなる」
 どうやったらお前がその気になってくれるか、と。ヨウスケは言葉尻を濁しながら、それでもタクトには伝わる声で呟いた。体裁を整える為、咄嗟に放った溜息―――粗略な意味合いしか持たない溜息を、ヨウスケは心底否定的なニュアンスで受け取ったらしい。まさかのまさかで、イニシアチブの移行。丁度良く息も整い、冷静な思考が舞い戻る。正直なところ、ヨウスケの意向は既に分かっていた。手に取るように分かるほど、はっきりと顔に書いてある。だが簡単に乗ってはやらない。タクトの耳元で、小悪魔が囁く。囁かれるままに、煽ってやる。
「試しに…僕を口説いてみたらどうだ」
 挑発する台詞に、ヨウスケは首を傾げる。一生懸命に考えているらしい。一拍の間、ヨウスケの手がタクトの髪を掻き分けた事で、準備が整った事を知る。導き出された台詞を受け止めようと、タクトもまたヨウスケの顔を覗き見た。かち合う視線。ヨウスケの唇がそっと、空気を震わす。
「抱きたい」
 飛び出したのは、余りにも性急な口説き文句。されども切羽詰まった吐息を孕んだ4文字は、確かにタクトの心臓を揺さ振った。精一杯の平静を装う、そうだ、ダメージなんてない。二人の間に乾いた笑い声をひとつ。まだ主導権はこちらにある。
「随分と安直な台詞だな…それでは女性は口説けない」
「どこかの女にじゃない、お前に言ってるんだ」
 タクト。ひどく馴染みのある声が、自分を特定する単語で耳朶を打つ。一度茶化された台詞の是非を確認するそれは、今度こそタクトの事を追い詰めた。ヨウスケの双眸は熱っぽい色を滲ませながら、タクトに向かって淀みない意志を注ぐ。愛したい愛したいと視線が叫ぶ。飾ることなく生身の姿で立ち向かってくるものだから、今度こそタクトも意志を示すべきだと、思わされる。
 ヨウスケの胸倉を掴んで手繰り寄せる。無防備な身体はいとも簡単にタクトの眼前までやってきた。急速に近づく距離、遠慮なしに口接ける。噛みつくようなそれに色気など欠片もない、それでも相手の求める答えは、確かに与えられただろう。瞬時に離れていく唇、ヨウスケが「答え」を汲み取ってくれたかどうか―――そんな疑問は愚問に等しい。火を見るよりも明らかな、結果。
「顔が赤い」
 指摘をしてやれば尖った視線で一瞥される。二人の隙間に笑い声をひとつ、今度は出来うる限りの柔い声音で。きりの良いところまで進めたレポートに視線を落として―――翻す。断る言い訳を自ら捨てた。遠回りな意思表示。
「フッ…構って欲しいなら、最初からそう言えば良いだろう」
「…チッ。減らず口」
 呆れた声が鼓膜を掠めて小休止。ムードのない言葉に相反して、優しい手がタクトに触れた。頬に触れる手はとある意志を持っている。柔風よろしくそっと触れる癖して、壊す合図を待っている。誘うときは否応なしだったのにも関わらず、こういう時には立ち止まる。タクトの答えを知っているからこそ、駄目押しの一手を望んでいる、らしい。これ以上の攻防は危険、脳内でレッドアラートが鳴り響く。数拍置いて―――警告を無視。ヨウスケの視線に潜む動物的な咆哮を悟って、タクトは合図を示す。求めているのはこれだろう、そう念じながら唇と唇を触れ合わす―――壊していい、という合図。
 もっと刺激に翻弄されたい。劣情を剥き出しにした視線で訴えかければ、ヨウスケが唾をごくりと飲み込んだ。零距離まで迫ったその瞬間、「二人」は互いを欲する「動物」に転化する。
作品名:深紅に染め上げて 作家名:nana