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肺を溶かす女神

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血のゆっくりとした巡りに耳を傾けながら褐色の指が煙草に火をつけた。途端にギルベルトの眉間がくっと寄った。
「吸うな。喉が痛え」
「俺の幸運の女神になんてことゆうねん」
けっと短く毒づいて鼻と口を手で覆い、白い煙をぱたぱた払った。片耳のイヤホンからは気だるげな洋楽が流れている。赤い斜陽がなだらかに影を伸ばしていくのをぼんやり見ていた。褐色の肌は逆光で伸びていく影よりも暗い。にやにやとこっちを見た緑の瞳がエナメルのようにつやりとしていた。
ふっ。と小さく息を吐いて白い煙をギルベルトの顔に吹きかける。盛大な顰めっ面にアントーニョはけらけら笑った。
「Scheisse!」
「はは! 女神悪くゆった罰」
「うぜえ。なーにが女神だ。Fortunaはおめーの肺を真っ黒にしに、羽根の生えた靴で飛び回ってんだろうよ」
「底の抜けた壷持ってなあ。だから吸うてる時の俺はいつまで経っても幸福が満たされることはないんやで」
「肺が枯れるまで吸ってろニコ中」
くつくつと笑いながら銀の灰皿に煙草の灰を落とした。アントーニョはなあ。とギルベルトの襟首をぐいと掴んで引き寄せる。いやに強い力だった。緑の瞳が乱暴に見据えてくる、ぱしんと大きな手のひらで顎から頬を掴まれた。
「う」
「キスせん?」
「絶対やだ」
「しよ」
「無理」
「あかん、したもん勝ち」
手でどれだけ押してもその胸はびくともしない。ぐっ! と思い切り顎を上に向かされ、咄嗟にたべられると感じた瞬間にはもう口も視界も塞がられてた。ああ。苦い舌。キスをするときなぜ目を隠すのか聞いたことがある。目が合うのが恥ずかしいらしい。聞いた時はばかじゃねえのと罵った。
「――どけ!」
苦い。
くるしい。ギルベルトはのしかかる体を押しのけた。ひゅうと空気を吸い込んだが肺に送られるのは酸素と煙ばかりで呼吸がし辛かった。
「げほ、げほっげほ」
背を丸めて咳き込むギルベルトに額を擦り寄せる。ごーめん。と悪びれもなく謝って、首筋に顔を寄せながら煙草を灰皿に押し付けた。
「うぜえ」
「いじわる。首。見えるとこ噛んだろか?」
「やめろよ、まじで」
「はは」
苦い。
毒を吸う喉からどうしてそんな甘い声が出るのだろう。どんなに甘いこと吐いたってそんなに苦い舌をしていれば。
「目ーつむってろ」
なに? と返事がくる前に手のひらで緑の目を覆う。つまるところ苦いのはそろそろうんざりで。片手で器用に開いた包み紙。舌の上で甘いフレーバー。ギルベルトは手のひらをどけるのと同時に煙草の香りのする唇へ噛み付いた。舌の上で転がるキャンディの甘いのが口内を伝う。かろんと歯に当たってふふと笑った。
「口寂しくなったら舐めてろよ。そっちのが俺好みだ」
「えらいお子ちゃまやなあ。やったらんでもないけど」
「甘いの好きだろ」
「甘すぎるわあ」
がりっ。とキャンディを歯で砕く。穏やかなその奥で凶暴な歯が次に向けられるのは自分だと知ってなお冷静にしていられるのはきっと。
「痛いほうが好きやろ?」
甘いのよりもずっとずっと。とん。と体を押されて簡単に反転する体。無抵抗がなによりの肯定。褐色の肌から煙草の香りがする。それでもいくらか甘いフレーバーにゆっくりと流されていった。
作品名:肺を溶かす女神 作家名:yuzi