dear
だが男は疑うこともなく、呼ばれた気がして足を止めた。
振り返ると、少し離れた所に少女はいた。赤い瞳をいっぱいに見開いた表情は泣きたいのを堪えているようで、男は心の中で首を傾げた。
視線を落とすと、そこには見慣れたブレスレット。細い革に銀製の飾りがついていて、先日少女にやった物だ。それを見て男は、ああ、と思った。
――また落ちたのか。
そう思って、男は胸の内で否と呟く。この少女が落とすのは、これが初めてだ。
『にいさま』
懐かしい声が聴こえた気がした。明るく滑らかな色をした髪を肩の下で切った少女。日の光のように真っ白なドレスを翻して、とても楽しそうに笑っていた。
『にいさま、また落ちてしまったの。つけてくれる?』
夏空のような澄んだ青い眸がくるくると輝いて、こちらを覗きこむ。
赤毛の友は少し離れたところで、寂しいような恨みがましいような視線をこちらに送ってくる。
そんな二人の様子に苦笑しながらも、いつだって妹の望みを叶えた。
泣きたくなるほど穏やかで懐かしい記憶に、思わず笑みがこぼれる。男は少女に歩み寄ると目の前でしゃがみこみ、ブレスレットを拾った。少し土がついて汚れていたが、指でこすれば簡単に落ちた。
昔のようにブレスレットに異常がないことを確かめると、細く白い手首を握った。作業しやすい位置まで引っ張り出すと、後は慣れた様子でブレスレットをつけてやる。それから、昔と同じように柔らかな髪に指先で触れて、完了を告げた。
赤い眸は見開かれたまま。だが浮かぶ表情は戸惑いの一色。男は小さく笑って立ち上がり、また背を向けて歩き出す。
急ぐ旅ではない。だが、感傷に浸って歩みを止める気もなかった。
「カイム」
今度ははっきりと、声が聴こえた。男は再び足を止めて振り返る。
少女は困ったような表情だった。少しの間赤い眸を彷徨わせ、それから呟く。
「………あり……がとう……」
『にいさま』
『にいさま、ありがとう』
……ああ。
男は目の眩む想いだった。
姿も、表情も、まったく違う。それなのに、こちらを窺うようなその眸の、なんと似ていることか。
男はやわらかくほほえむと、少女の頭にふれた。金の髪をかき乱すように、しかしやさしく頭を撫でると、また前を向いて歩き出す。
だが、と男は考え始める。
己の手首からは一度も落ちたことのないブレスレット。なぜ、幼い少女の手首からはこうにも簡単に落ちてしまうのだろう、と。
男が二人の少女の想いに気付くことはなく。
ただ、真っ白な日の光を受けながら、男は歩き続けた。