賽の目は譲らない
「ふふっ。シズちゃんかーわい」
キスをされている時のシズちゃんはとても従順だ。そういう行為に慣れていないせいもあって、キス一つで動けなくなる。
そんなところに胸をいじってみたり、下肢を触ってみたりすれば、馬鹿みたいに声を上げる。池袋の路地裏で、しかもこんな姿をしているなんて皆が知ったらどうなるか。
きっとそれはそれで楽しいに違いないけれど、今の目的はそこじゃない。シズちゃんが、俺に愚かな感情を抱くこと。これが今の目的。
それを裏切る瞬間が楽しみで仕方がない。あぁ、そのついでに皆にばらしても楽しいかも。絶望に揺れて、周りから冷たい視線を浴び、どこにも行ける場所もない哀れなシズちゃん。
うん、凄くいい。想像しただけで笑える。
その時の訪れを期待しながら、俺はその体に刻み込むように囁く。
「化け物のシズちゃんを愛してあげられるのは、俺だけだよ」
「うるせぇよ」
「いつ何を壊すかわからない相手に接してあげる俺はなんて優しいんだろう。シズちゃんもそう思わない?」
「……黙れ、ノミ蟲」
きっと誰よりもシズちゃんがわかっているのだろう。だから顔を背ける。言葉に堪えられなくて。自分の力を忌み嫌って。
もっともっと傷つけたい。そうして俺しかいないのだとわからせたい。
けれど今日はここまでだ。シズちゃんの肩越しにもっと面白い人物が見えた。最後にもう一回だけキスをして、用があるからとその横を擦り抜けた。
先程見つけた人物はきっとまだ見えたところにいるだろう。感情が出にくいはずの彼からはそういう空気が出ていたから。
少しだけ遠回りをしてそこにいくと、あまり意味を成していないサングラスを掛けた少年がいた。意味というのは顔を隠すほうの意味である。
何故若い彼がそんなものをつけなければいけないか。それは彼が大人気の芸能人だから。
「やぁ、平和島幽君。芸能人がこんな薄暗いところに何の用だい?」
「…………」
「そうか、シズちゃんに会いに来たのかぁ!さっき声かけてくれればよかったのに」
彼は化け物みたいな怪力と激情する感情を持つ兄とは対象的な弟である。しかし逆に全く顔に出さないその姿は異常とも言える。卓越した演技力がなければ、彼もまた恐れられるだけだっただろう。
そんな怪物兄弟は互いを思い合い過ぎている。誰よりも近いから、小さな感情も読み取り上がった感情を押さえ込める。互いに心配しあっている姿は微笑ましくて吐き気がする。
「今日は貴方に言いたいことがあっただけなので」
「俺に?珍しいね」
「時間もないので率直に言います。兄さんに構うのは止めてください」
「クッ…ハハッ!これは面白い!」
まさか大好きなお兄さんを守りたいというだけ?まさか、その程度の言葉で俺が止まるような玩具ではないんだよ、シズちゃんは。あぁ、なんて傑作だ。
ボイスレコーダーとか用意しておけば良かった。それをシズちゃんに聞かせたりしたら最高に楽しいに違いない。
笑いが止まらなかった。だから幽君が小さく呟いた言葉を聞き逃すところだった。
「……無駄だから言っているのに」
「無駄?」
「兄さんを化け物と呼ぶ人間を、兄さんは愛さない。俺が愛させないようにしてきたから」
淡々と告げるその内容は明らかに歪んでいた。それ以上は何も言ってこないが、どうやら弟君は何かをし続けてきたらしい。それこそ呪詛のような言葉で、どこにもいかないように。
なんて厄介だろう。計画の妨げにしかならない。
けれどそうこなくちゃ面白くないってもの。
「じゃあ幽君の悔しがる顔を見ることになるだろうね」
買ってやるさ、この戦争。俺が攻め落とすか、幽君が守り切れるかの一本勝負だ。
俺の言葉に幽君は何も言わなかった。ただ頭を下げてこの場を去るだけ。しかしその目には明らかな敵意があった。同時に俺を見下すような雰囲気も出していた。
『無駄なことを』とでも言うような。
どちらも勝利を疑わないこのゲーム。揺らいだ方が負けになる。
「ククッ…これだからやめられない!」
池袋の路地裏で生まれた一つの戦いに、俺は興奮を抑えきれなかった。