満ち満ちて偏在しせり
細胞は日々、生まれ変わっている。作り変わっている。再生している。入れ替わっている。
昨日の自分とは、一時間前の自分とは、一分前の自分とは、一秒前の自分とだって、構成している細胞はわずかずつ、違うのだ。
細胞は日々、生まれては死んでいく。死んでは生まれていく。
いつかの時点で、全ての細胞が入れ替わったとき。入れ替わる以前の最後の細胞の一つが死んだとき、そのとき、自分は違う自分に、なっている。
「人間の細胞は、だいたい五年で全部入れ替わるんだよ」
ヒロがユゥジの腕の中でつぶやく。
ユゥジがソファを背にして座って、ヒロはユゥジを背にして座っていた。ヒロは体育座りをして、分厚い本を膝に広げている。細かい文字が連なっていてユゥジには内容はよく分からない、けれどヒロの読書する俯いたつむじを見下ろすのは嫌いではなかった。
「へえ。じゃあ俺はもう何回、生まれ変わったんだろうな」
「単純にいえば五年だけど、赤ん坊の頃はもっと早いよ。一年に三十センチも身長が伸びるなんて、もう別人だよね」
「でも誰だって最初はそうだろ? そもそも受精卵から胎児になるのだってもう違う」
受精卵は二になる一。
四になる二。
八になる四。
十六になる八。
そしてやがて無限になる一。
一になる全て。
個の為に存在する全て。
「ユゥジが触れた瞬間から数えて五年後、僕の中にはユゥジを知らない場所がなくなる。逆も一緒。僕に触れた瞬間から数えて五年後。ユゥジの中から僕を知らないところなんてなくなるってこと。全部が入れ替わって生まれ変わる。新しい自分になる。あますところなくユゥジを知ってる僕になる」
早くそうなればいい。ヒロはそんなことを思って振り向いた。ユゥジの狭い腕の中で身を捩って、上目遣いでユゥジを見上げると、柔らかく見下ろす視線にぶつかる。
「でもね」
「ん?」
「でもさ、五年会わなきゃユゥジは僕を忘れちゃうんだろうね」
じっと、真摯に見上げる視線であった。
ヒロの、大きな瞳に映るユゥジの顔はゆらゆらと揺らめいている。不安そうな、瞳をして、けれど、明瞭な意志でもって絡める視線を拾い上げて、ユゥジはゆっくりと口を開く。ヒロの視線を、こぼさぬように。
「ヒロだって俺のこと忘れちゃうか?」
「……僕? どうかな、でもきっと忘れないんじゃない? 一途だよ、ユゥジより、ぜんぜん」
手のひらを、ユゥジの右の頬に添え、乗り出すようにしてヒロはっその唇を反対の頬に寄せた。ちゅ、と派手な音を立てて、キスを落とす。一途だよ、ユゥジとは違ってね。もう一度、そう静かに呟いて、ユゥジをじっと見つめたけれど、ユゥジは笑みを浮かべるばかりで、何一つ、痛くないという顔だった。
「ユゥジは僕を忘れてもいいよ。何度だって、ユゥジはきっと僕を好きになる。好きになるでしょう?」
おまじないみたいに願い事を呟いて、ヒロはユゥジの唇を塞ぐ。この唇が、自分を忘れる日は来るだろうか。満たされたまま全てが終わるいつかがくればいいのにと、新しい自分を夢想して。
―――願わくば、この身体は、全てユゥジのものになる一のままであればいい。
作品名:満ち満ちて偏在しせり 作家名:ながさせつや