花言葉は復讐+続編-手繰る糸、繋ぐ先
#5
可愛いらしい鈴の音が小さく鳴り響いた。
「ああ、ちょっと待ってくれ、今開けるよ。
やれやれ、まさか脚の不自由な奴だったとは、失敗したな……
何だい玲子ちゃん」
車椅子に腰掛けていた男は怠そうに立ち上がり、のろのろと扉を開ける。
ドアの前に待機していた黒猫は、僅かな隙間から身体を滑り込ませると、男に見向きもせずサイドテーブルの上に飛び乗った。
それからレースのクロスの上に寝そべると、硝子ケースの中に並べられた男のコレクションを眺め、何かを訴えるように一声鳴く。
「ああ、そいつ?新入りだよ。この身体の首の方。
え?声が聞きたいのかい?
参ったな……あまり大声で叫ばせると修一達に聞こえちゃうからね。
じゃあ、ちょっとだけだよ」
男は肩をすくめると、硝子ケースをそっと開けて、一番上の棚の右端にしまっていた生首のミニチュアを取り出した。
「え?神田の首も出せって?
……君といい岩下といい、こんな奴の何処がいいんだい?」
渋々といったように一番下の棚からももう一体取り出し、二つを黒猫の前に並べる。
「知ってるかい?生首を九十九体集めると大合唱してくれるんだよ。
そしてあと一体でちょうど九十九体になるのさ。楽しみだろう?
ああ、もちろん最後はあの男にしよう。なかなか丈夫そうだし、首から上も今までにないタイプだ。
どんな声で鳴くんだろうねぇ、アレは」
愉快そうに言いながら、男はミニチュアの側頭部を親指と人差し指で摘み押す。
すると無表情だったミニチュアは恐怖に顔をひきつらせ、短い悲鳴を上げた。
「これで満足かい?……それはよかった」
俺は先程の書斎に再び足を踏み入れると、本棚から気になっていた本を引き抜いた。
【多重人格の症例】──実は以前から、坂上がそうなのではないかと疑っていたのだ。
それほど頻繁ではないが、坂上がまったく別人のように見える時があった。
それは、どこがどう普段と違うのかと問われてもうまく説明できないほどに些細で曖昧な違いでしかない。
まるで、何かにとりつかれているような──。
その本では、多重人格が原因で実際に殺人を犯した海外の少年や男の症状が紹介されていた。
ある少年(当時)の場合、13もの人格を持ち、それぞれ異なる呼称があって、性別も年齢も経歴もバラバラなのだという。ある人格は幼女、またある人格は老人──。
本名で呼ばれる【主人格】はしかし本来の人格というわけではなく、全ての人格の記憶を把握し統合する存在らしい。
「うん?」
興味深く読み進めるうちに、赤インクの走り書きをみつけた。
意味不明な数式の下に唯一読み取れた一文。
──魂の分割と融合、原理的な応用可能か。
何のことやら、さっぱりわからない。
「なんだ先輩、こんなところにいたんですか」
首を傾げていると、風呂から上がった坂上に声をかけられた。
「お風呂どうぞ。お湯も張っておきましたから」
「ああ……」
「僕は食堂で待ってますね」
本を元に戻し書斎を出ると、すぐに風呂に向かう。早々に服を脱ぎ、浴槽に身体を浸した。
程よい温度の湯が、冷えた身体をじんわりとあたためていく。
他人の屋敷の風呂場を勝手に使っているという後ろめたさは拭えないが、来訪して以来の住人のふざけたもてなしを思えばお互い様だろう。
遠慮なく浸かっていると、突如天井から太い鉄の棒が二本、にゅっと現れた。
かと思えば、それらは俺を箸のように挟んで持ち上げようと迫ってくる。
「何だこりゃ!?」
喰う気か、すっかり茹で上がった俺を!?
俺は慌てて浴槽から飛び出し、曇り硝子の扉めがけて突進する。しかしどういう原理か浴槽から湯が溢れ出て浴室を満たし、水圧によって扉はびくともしない。
「さ、坂上!助けてくれ!」
硝子戸を叩いて助けを求めるが、坂上は近くにはいないらしく何の応答もない。
そのうちに湯は引き、巨大な鉄箸もいつのまにか姿を消していた。
「な、何だったんだ、今のは……」
悪戯にしては大掛かりだ。坂上の時は何も起こらなかったのだろうか。
疲れ果てた俺はゆるゆると身体を洗い、泡を流そうとシャワーを手にして蛇口を捻った。
勢いよく噴射するシャワーはどんどん温度を上げ、やがて熱湯に変わる。
「あつっ」
このままでは火傷してしまう──水を出して温度調節を試みるがうまくいかない。それどころか湯はますます熱くなっていく。
仕方なく蛇口を締めて浴室から出ると、タオルを巻いて廊下に出た。
恐らく原因はボイラーだろう。どこかにある筈のボイラー室を求めて歩きだし、ようやくそれらしき部屋をみつけた。
まるでSFアニメに登場する核融合炉のような大袈裟な造りは、相当年季が入っているだろうことを伺わせる。本体の小窓からはまさに燃え上がっているオレンジがちらつき、部屋中に走るパイプには所々に赤や緑のバルブが見えた。
操作盤を見つけて近づくと、メーターが示す設定温度は百度を超えており、しかも上昇し続けていた。どう考えても異常だ。
「故障か?」
適当につまみを調節してみると、温度は急激に下がっていき、ほどなく正常値に戻った。
誰かが、弄ったのだ。
この家の住人か、坂上か──自分で考えておいてぎょっとする。
(何故俺は坂上を疑っているんだ)
素直に従順に俺を慕うあの可愛い後輩が、俺を害そうとする筈などないじゃないか。
何度も自分に言い聞かせるが胸騒ぎはおさまらない。
一度脱衣所に戻り服を身につけてから、坂上がいる筈の食堂へ向かう。
しかしそこに坂上の姿は無い。
「坂上……?」
不安は加速度的に増していく。
屋敷の住人と坂上がグルだとしたら。
俺ひとりの命を狙って協力しているのだとしたら。
ブレーキに細工したのも、ボイラーの設定温度を殺人的な値にしたのも、坂上だとしたら──。
視界が霞む。
なんだ、泣いているのか俺は。
まだそうと決まったわけでも無い、勝手な被害妄想で。
後輩に裏切られたと思ったくらいで……。
騒ぐ心臓を掴んで自問する。
たとえばこれが朝比奈なら。御厨なら。俺は同じように感じるだろうか。こんなにも苦しくなるだろうか。
──理不尽さに腹を立てることはあるかもしれないが、泣くほどのショックは恐らく受けない。
二階からピアノの音が聞こえる。聞いたことの無い悲しげな調べだ。
袖口で目元を拭い、俺は階段を上りはじめた。
作品名:花言葉は復讐+続編-手繰る糸、繋ぐ先 作家名:_ 消