猫と満月
どんなに同じ時を共有しても、彼が本当に自分を見ることがない事を知っているからだ。
広いベッドの上で目覚めれば、隣はいつも空いていて、シーツに触れれば微かな温度。
それは時折与えられる、臨也の気まぐれな優しさを象徴するようで切ない。
それでもどうしても、彼と同じ時を共有することを止めることが出来ない。
自分でも愚かしい事だと思うのに、何故かそうしてしまうのだ……。
軋む体でベッドを抜け出すと、明かりも付けないリビングに臨也はいた。
窓から入り込むのは街の明かりと、満月の光りだった。
「あれ？ 起きたんだ？ もう帰る？」
身繕いもしていない相手に言う言葉ではないだろう、と思うのに、言葉は喉の奥に貼り付いたあめ玉のように出て来ない。
月明かりを背に、窓辺に佇む姿は、人よりも猫のようだと思う。
そういえば出会った頃も、彼を猫のようだと思っていたことを思い出す。
漆黒の髪やよく動く瞳、小柄なのにしなやかに伸びた手足がそう思わせたのかもしれない。
「なに、そんなに見つめちゃってさ、俺って見惚れるくらいいい男？」
ま、いい男なのは知ってるけどさ、と続けて笑う顔は、酷く意地が悪そうだ。いや、事実この男は意地が悪い。
それも性格が悪いなどという言葉では表せないレベルでだ。
「なんか飲めば？ 冷蔵庫開けても良いし、お茶入れても良いよ」
勝手にやりなよ、というような態度で、もう自分には視線すら寄越さない。窓の外に広がる新宿の明かりを、臨也はただ黙って見下ろしていた。
「そこも、お前の好き勝手に出来ると思ってるのか？」
声を出してみれば、思った以上に掠れていて、思わず舌打ちをする。それに満足げに笑って、臨也はもう一度こちらに向く。
「出来ると思ってるんじゃないよ、してるんだ。そんなことも知らないの？」
「そうかい」
大股で近付いて横に並ぶ。
池袋以上に、この街には夜がない。
いつだったか強い明かりは、より深い闇を生むのだと、誰かに教えられた。
この街では星も見えない。いつか月すら見えなくなるのではないだろうか。
だったらこの男はその深い闇を好んで、この街に巣くっているのかもしれない。
「そういや猫は夜行性か」
「は？ なに急に」
「お前が猫みたいだって話」
「……」
「なんだよその顔は」
「なんでもないよ。それより早く帰れば？」
もう電車がないと告げると、臨也の顔が不快そうに歪む。
「泊まるつもりなわけ？」
「タクシーなんか乗る金はねーぞ」
「あっそ……」
ふっと短い溜息をついて、臨也が窓の外を見る。同じ物を見たくてその視線の先を追うが、なにを見ているのかまでは分からない。
「シズちゃんってさ……ホント思い通りにならないよね」
「……なんだよ急に」
「むかつくって言ってるの」
だったらこんな事を止めればいいのに、と言いかけて、その言葉を飲み込む。
代わりの言葉を探して、しばらく黙り込んだ。黙ったまま並んでいると、隣から自分を伺うような気配を感じる。
それが可笑しくて小さく笑った。
「俺は、時々お前の事がそんなに嫌いじゃない気がする」
そういって相手の顔を見れば、絶句したままこちらを見つめている顔があった。
二、三度何かを言いかけて口を開いたけれど、言葉が見つからないのか、その口は閉じられる。
見開かれた瞳が微かに揺れる。映っているのは自分の顔だけで、そのことになんだかひどく満足した。