最高のFINALE
1
「ところで、孫君から連絡は?」
ブルマはコーヒーを淹れる手を止めて、リビングに居る悟飯に問いかけた。
「いえ、全然」悟飯は頭を振った。「帰ってくる気配さえありませんよ」
まったく、家族をホッポリ出してまで、あの子の修行に付き合うのがそんなに楽しいのかしら。
あの天下一武道会のあった日から、数年が経過していた。
第2試合の途中で突然、孫悟空とウーブという少年が南へと旅立ってから。
それから後も、何度か武道会は開催されているが、あのメンバーが参加したのはあの武道会が最後だった。
そしてそれぞれの生活に戻って行き、多少疎遠にはなったが、彼、孫悟飯は学者という職業柄、学会や講演会といった都での仕事の合間に、カプセル・コーポに良く足を運んでいる。
「まったくサイヤ人って、格闘マニアというか何というか、始終体動かしてないとダメになっちゃうのかしらね」
ブルマは呆れ顔で咥えたタバコに火をつけた。
「せめて老後は穏やかに…なんて考えもつかないんでしょうね」
「はは…まあやっぱり似合いませんしね。お父さん達には」悟飯は苦笑する。
「あいつもそうなのよ~。あの武道会が終わった後もトレーニング、トレーニングでさ。2,3日重力室に篭りっきりの時もあるくらいよ」
ブルマは肩を竦める。
「でもね、私としては」淹れ立てのコーヒーを悟飯に差し出し、ブルマは悟飯の向かいのソファに落ち着いた。
「いい加減少しは落ち着いてもらいたいんだけど…」
幾多の脅威に晒されたこの星。もっとも、彼自身がその火種であった事もあったけれど、常にその最前線で戦ってきた。そして、完全に脅威から解放された今、過酷なトレーニングを続ける事にどんな意味があるのか。ブルマには計り知れない。しかしそれこそが戦闘民族故の性なのだろう。命ある限り、誰よりも強くあれ、と。
「ま、そんなコト言ってもムダだって分かってるんだけどね~。あいつ、筋金入りのトレーニング馬鹿だし」
「そんなトレーニング馬鹿なんて、べジータさん聞いたら怒りますよ、きっと」
「だってほんとの事じゃない」ブルマは笑った。「それにね」
「大飯食らいでしょ?働かないでしょ?えーと他になんかあったかな」
「ブ、ブルマさん!」
べジータの気配を探る様に、辺りを見回す悟飯に、ブルマは思わず吹き出した。
「大丈夫よ、あいつ今重力室だし」
ブルマが指差した方向に赤いランプが点灯しているのを見た悟飯は、ふう、っとため息をついた。
「それにね、最近はあいつも丸くなったのよ~。昔と違ってさ」
「そ、そうなんですか?」悟飯は訝しげな表情。
そう。ほんとに。
あのしかめっ面は、今も変わらないけれど。
「ほんと、分かりづらいんだけどね~」
そう言って、ブルマは幸せそうに微笑んだ。
***
それから数十分後、悟飯は自宅のあるパオズ山へと帰っていった。
ブルマは誰もいなくなったリビングで一人、ソファの背にもたれて物思いに耽る。
(孫君、行っちゃったわね…。あんたはこれからどうすんの?)
あの時、べジータにそう言ったのを思い出した。
終生の好敵手と、べジータが唯一認めた孫悟空。彼は自分の信念の元、新たな場所へと旅立っていった。
なら、べジータはこれからどうするのか。ブルマはただ、素直に聞きたかった。
どこか新たな訓練の場を求めて、孫悟空の様にここから離れて行くのか。
それならそれでも良かった。彼が求め続けるものは、孫悟空を越える力。それを手に入れる為なら、自分が反対する理由は何もない。彼が強くなるために、自分が彼に強くなるために与えられるものは、そろそろ底をついてきていた。
半ば覚悟し、問いかけた疑問だったが、彼の答えは意外なものだった。
(何も変わらん)
ただ一言、そう答えただけだった。
そして、今。変わらず傍にいてくれる。
姿が見えなくても、近くに気配を感じる事が出来る。
ブルマはそれだけで満足だった。今この時も、そしてこれから先も。
時計を見ると、既に七時を回っていた。ブルマはふと、重力室の入室ランプサインに目を遣った。
(あ、珍しい…)
赤いランプはいつの間にか消えていた。
いつもならまだ訓練中の時間帯のはずだったが。こんな事もあるか、とブルマは腰を上げる。
しばらくすれば、シャワーで汗を流した彼が、ここにやって来るはずだ。
さて、と。たくさん料理を作らなくっちゃ。
ブルマは腕まくりをし、足取りも軽くキッチンに向かった。
重力室を出たべジータは、一人、カプセル・コーポ内の室内庭園に来ていた。
そこは空調もより自然に合わせて調整されており、植物も動物も野生に近く育てられ、べジータにとっては居心地のいい空間だった。
座るのに手ごろな大きさの枝を見つけ、そこに飛び乗る。
今は、一人で居たかった。
べジータは幹に背を預け、静かに目を閉じる。
今日、はっきりと認識した。
自分の「気」が、急激に衰え始めている事を。
それは以前からずっと感じていた。
何度も限界を超えてきた自分の力が、まるで砂時計の様に、さらさらと零れ落ち続けている。
砂時計は、空になればもう時を刻まない。
それは。
べジータは目を開き、自分の手のひらをじっと見つめた。
共に戦い続けてきたこの手。この拳で幾つもの命に死を与えてきたのだ。
今度は自分の番なのだ。ただそれだけの事だ。
しかし、違っているのは、誰かが与える死ではなく、時の流れが与える死である事。
まさか自分にそれが許されるとは思ってもいなかった。
戦いの中で死ぬ事。それが戦闘民族サイヤ人に与えられた運命だと彼は信じていた。
しかしあの魔人ブウとの最後の戦いの時、神龍の力によって蘇生した。
(よかったなー!おめえ、極悪人じゃねえって思われてるぞ!)
べジータは自分が生き返る事など、考えもしていなかった。
もう一度、「生きる事」を許された。それだけで十分だったのだ。それ以上望む事など何もなかった。
しかし、神はもう一つ、彼に「寿命」を許した。
人として生き終える事を許したのだ。
べジータは深く息を吐いた。
そして、今頃キッチンで料理に張り切っているであろうブルマを想い、僅かに微笑む。
いずれ来る、別れの瞬間まで、変わらずにあいつの傍に居る事。
それが、俺があいつに出来る最後の事だ。
運命に逆らいながら、神に救われた事へ。そして、自分が最も愛する者達へ。
べジータは深く感謝した。