泡沫夢
出勤途中、私は偶々望の学校の前を通った。
生徒たちへの挨拶の様に「死んでやる!」と望は叫んでいた。
(またか)
それは私にとっても、生徒たちにとってもいつもの光景
の、はずだった。
「先生は大丈夫なんですか?」
望の生徒たちは声を揃えて言った。
「階段からの転倒による軽い脳震盪、暫く安静にしていれば問題ありません。皆さん、学校には連絡を入れておいたんで、学校に戻ってください」
「はーい」
付き添いの生徒たちは渋々帰って行った。
そのまま私は生徒たちを病室の外まで見送った。
先生大丈夫かな?などと口々に言いながら生徒たちは帰って行った。
病室に戻り、望を見る。そこには、すぅと寝息を立てて静かに寝ている彼の姿があった。
私が病院に着いてすぐ、望が病院に運ばれてきた。
学校の階段で足を滑らせ階段から転倒。意識不明ということで緊急だったが
(大して、大事じゃなかったんだよな)
実際、生徒たちに言った通りで大したことでもなかったので、医師と言う権力を行使し、そのまま望を入院させた。
(一泊ぐらい、大丈夫だろ)
無神経かもしれないが、身内に何かあったら心配なのでとりあえず、学校の方にも適当に連絡しておいた。
背だけ高いその身体にどれ程負担をかけていたのかは知らないが、眼の下のクマと細い手足が物語っていた。
「のぞむ」
呼んでも返事は返ってこない。頭を撫でてみると、たんこぶが出来ていることが分かった。
触れた時望は少し表情を歪めた。
暫くは寝ているだろう、そう思い病室を出ようとした。
すると、
「みこと、にいさん」
寝ているはずの望が私の手を掴んだ。
私はしゃがみ、自分の顔の位置を望の顔の位置に合わせた。
「どうした?」
きっと寝ぼけているのだろう。そう思い私は何となく聞いた。
「怖いんです」
望は私を見て言った。
「何がです?」
「…死ぬのが」
望は自分の腕で自分の顔を隠して言った。
「…死んでしまうのが怖いんです」
よく見ると望は泣いていた。
「どうしたんだ?何かあったのか?」
思わず、聞いてしまった。
「夢を見たんです」
そういうと望を少しずつ話した。
「……幼い頃から、夢を見るんです…景兄さんや、倫、皆が消えていくんです……命兄さんも…」
すると、望は私に抱きついてきた。
「私は消えませんよ」
望に言い聞かせるように私は言った。
「嘘だ…そう言いながら、命兄さんは消えて行ったんです」
望は私を強く抱きしめた。
「消えないでください、命兄さん…貴方が消えてしまうぐらいなら私は、私は死んでしまった方がいい」
私にかかる力は強いのに、望の声は弱々しくなっていった。
「私は消えませんよ」
「嘘だ」
「私は貴方より先に死にません」
「嘘…だ」
望の声が除々に弱々しくなった。
まるで、消えてしまいそうで…
「のぞむ」
気が付くと私は望を抱きしめていた。
「みこと…にいさん…?」
望の事を強く、強く抱きしめていた。
「命兄さっ…痛いっ…」
そんな望の声を無視し、私は強く抱きしめた。
病人ということも忘れて、強く、強く、
「…望」
望を見つめる。
「兄さ、ん…」
望は視線を逸らした。
望の頬に触れて私は、こんなこと、してはいけない。そんなこと知っている。
それでも私は望の頬に触れていた。
「望、」
あぁ、この一線を越えてはならない。
それでも、私は、
私は、
「…ぃさん、命兄さん」
気付くとそこには望がいた。
「どうされたのですか?」
「あれ、今?」
「何を言ってるんですか?」
望はクスクスと笑った。
「命兄さん、私の看病しながら寝たんですよ」
あぁ、そういえば、望が学校の階段から落ちて、私の病院に運ばれて、
「もう大丈夫だと思うんで、宿直室に帰ります」
望はベッドから立ち上がり、横に畳んであった自分の服を持った。
「…あっ、そうか。もう身体は大丈夫か?一日泊まった方が」
私があわてて立ち上がり言った。
すると望みは首を傾げて言った。
「何を言ってるんですか?ちゃんと一泊しましたよ」
…あれ?私は、一体、
「疲れ過ぎてるんじゃないですか?命兄さんこそ、ちゃんと休んでくださいよ」
それではと一言言うと、望は病室から出て行った。
その時だった。
窓からの風が望の髪を揺らした。
露わになった白く細い首筋には「赤い斑点のようなもの」があった。
(あれって…?)
自分のカッタ―のボタンを二つ取り、恐る恐る自分の方を見てみると、
(これは…)
いくつか歯形があった。
(何処からが…夢?)