パラドックス
ネットを渡り歩くうちに朝になっていたようだ。
この情報の海はいくら時間があっても泳ぎ切ることは敵わない。自分が求めるものは次々と浮かび、沈む。すくってもすくっても興味が尽きることはない。果たして、自分が生きている間に得られるのは、どれだけなんだろうか。1%にも満たないだろう。
臨也はそんなことを考えながら椅子を回す。
彼が興味を持つ「人」の情報。それはネット上ほとんど全ての情報と等しい。毎日、毎日集めているのに手に入れられないそれ。
もし、全てを手に入れられたとき、自分は「人」を愛し続けられるのだろうか。
予想の範囲内で動く「人」もいれば、予想を遥かに超えて行動する「人」もいる。自分はその「情報」を手に入れられることが悦びだ。
全てを手に入れたときは。
「外にお客さんが来てるわよ」
波江の声で臨也の意識は現実に引き戻された。
「気が向かないなあ。また今度にしてもらえる?」
俺こう見えても忙しいんだよ。
まだ電源がついたままのパソコンを稼働させながらだるそうに答えると、波江は窓の外をちらりと見ながら他人事のように呟いた。
「ここ、壊されてもいいの」
「なに……?」
「あいつが来ているわ。バーテン服の男が外に。何しに来たのかしら。やけに苛立っているように見えるわ」
ま、私には関係ないのだけど。
臨也の方を見るといつも以上に動揺していた。
どうしたのかしら。
「なんでシズちゃんがここにいるんだよ………」
「なんとかしてよね。あの首のことがバレたら困るもの。私は自分の仕事を片付けておくから貴方はあっちをなんとかして頂戴」
くるくる回っていた椅子がキイ、と音を立てて止まる。
静かに思考していた頭の中が急にグルグルしてきた。
臨也が嫌いな唯一の「人」。予想も予測も何もかも壊す、池袋最強の男。
平和島静雄。
彼もまた、臨也が手に入れられないものの一つだ。
最初はタダの「人」だった。同学年に面白いまでに力の強い男がいるという噂を聞いて、会ってみたくなった。それだけのはずだった。
あわよくば利用してやろうという下心を抱えながら実際に会ったときに衝撃は忘れられない。
重いものを軽々と持ち上げ、人を羽のように軽く飛ばしていく、暴風の中心に存在している男に、心が惹かれた。
とことん利用してやろうと思っていたのに、彼は臨也の計画までをも破壊してきた。彼の暴力には理屈も理論も目論見も通用しなかった。臨也の手には負えない存在だった。
だから臨也は決心した。こいつはもう手放してやろうと。今まで利用してきた「人」と同じように。
ところが、手放そうとすればするほど、臨也と静雄の距離は縮まっていった。お互い不本意でたまらなかった。それなのに。
臨也の心の方が変わってしまった。
いつの間にか目が静雄を追っている。彼の行動、しぐさ、言葉。全てを観察してしまう。彼に好意を持つ女子が近付くと妙に苛々した。
それに気付いてしまった時、臨也は愕然とした。
まさかこの自分が、「人」以外に恋するなんて。
その気持ちを認めたくないから彼は封印するように「嫌い」と言い続けた。言霊はいつか真実になる。ずっと言い続けていれば、この自覚したくない気持ちはなかったものにできると信じながら、そんな自分に気付いてほしいと願う、弱い自分を忘れたくないとも思ってしまう。
特に最近は、その気持ちが抑えられなくなってきている。
会うたびに、「愛してる」という言葉を堪えて「大嫌い」と言うことが辛くなってきた。
いっそ言ってしまおうか。この気持ちを、感情を。
でも。
シズちゃんは絶対俺を好きになるなんてこと、無いからなー。
「大嫌いだよ」という自分に凶悪そうな、笑顔で「俺もだ」と答えてくれる彼。自分が「愛してる」と言ったらどんな表情で返すのだろうか。
「多分自販機が飛んできて俺死亡、なんちゃって」
乾いた笑いを立てながら臨也は椅子から立ち上がった。
ここしばらくは池袋に行っていない。単純に忙しかったというのもあるけれど。
彼に会いたくなかった。
この気持ちを整理できるまでは。
窓を開けると、殺気をまとってこちらを見上げている静雄と眼があった。
「いーざーやーくーんーよー。今すぐ俺に殴られろ。むしろ死ね。殺す」
「やれやれ。なんでシズちゃんはいつもそうなのかな。俺が何をしたって言うんだよ。これだから俺は君のことが――」
だいすきだよ。
言いかけた言葉を飲み込んで、臨也はとびっきりの笑顔を浮かべた。
「――大嫌いなんだよ」
臨→静で。
多分静雄が自覚したら幸せなんだろうけど…
この二人でラブラブとか可能なんだろうか
それこそエイプリルフールぐらいしか思いつかない