レモンキャンディ
学校帰り、用事があるという園原さんと交差点で別れた僕と正臣はいつもの通学路を歩き、駅へと向かっていた。
園原さんがいなくても正臣のテンションの高さは相変わらずで、道行く人々(主に女性、しかも同年代の女子高生でなく明らかに年上の女性だ)に声をかけまくっている。どう見たって相手をしてくれなさそうな人たちに声をかける正臣の気持ちは僕にはまだよく分からない。
僕はと言えば、そんな親友を少し冷めた視線で流しながら(あのポジティブさには羨望さえするのだけど)、コンクリートから反射されるうだるような暑さに辟易していた。
だから、背後から聞こえた脳天気な声にも躊躇なく振り向いてしまったんだ。
瞬間。
「んっ?」
咥内に、甘酸っぱさが広がる。
球体をしたそれは歯列に当たるとカツン、と固い音を立てた。
次いで、ぬめりを帯びた柔らかいものが僕の口唇をなぞる。
最後に、ちゅ、と軽いリップ音が耳に届いた。
「んんんっ!?」
「ーー…ん、」
目の前を塞いでいたものが遠ざかる。
距離が空いたところで、それは正臣の顔だったことに気付いた。
そして、今起こったことがスローモーションのように脳内を巡る。
「なっ、ななななな」
「壊れたテープレコーダーみたくなってんぞー、帝人!」
かかか、と笑う正臣に対して、僕の声は震えている。だけどそんなの、仕方がないじゃないか! いくら非日常に憧れている僕だって、親友とのき、きき、キス…! なんて想像したことないんだから…!!
「だだだだれのせいだと…!!」
「んー? そりゃーデンジャラスでセクスィーかつ帝人の親友というエキサイティングな俺、紀田正臣のことか?」
「まさおみ以外にだれがいるっていうのさ…!」
あまりにいつも通りの反応に、動揺している僕の方がおかしいのだろうかなんて錯覚してしまいそうだ。勿論それは錯覚に過ぎないし、普通の男子高生はこんな道端でキスしたりなんかしないのだけど。ーーって、
「ちょ、ちょっと正臣! ここ道の真ん中…!」
さり気なく肩を組んだまま歩いていた親友の頬を手のひらで押しやる。なのにちっとも離れる気配がないのは正臣に離れる気がないからなのか、単に僕の力が弱いのか……両者のような気もする。
「だーいじょおぶだって! これだけ人がいて俺達二人を気にしてるやつなんかいないって、腐女子の狩沢さんじゃあるまいし!」
「可能性はゼロじゃないじゃないか…!」
「へーきへーき。それよりさっ、みっかどー! お前ファーストキッスはレモン味☆、体験しちゃったなー!」
「は!?」
なんで? 何がどうしてその理論!?
「だってそうだろー? 奥手に奥手の帝人クンはまだファーストキッスすら未遂だろうし? とすればその相手は俺? しかも帝人へのプレゼントはレモン味のキャンデー! ほーら完璧、少女漫画の王道だろ!?」
「ってちょっと待って! あ、あれが、あれが僕の……」
「あれ? マジで? マジで初めてだったりした?」
「……っ!!」
ああああああかくなるな僕!!
それからなんでそんな嬉しそうなのさ、正臣!?
「マジで? リアリィ? やっりぃー!!」
「…っ笑わないでよ!」
「いや笑うって、嬉しきゃ笑うだろ? なんたって帝人の初めての人はこの俺! 紀田まさおむぐ」
思わず口を塞ぐ。これ以上こんなところで注目を集めてはたまらない。
「僕には笑い事じゃないんだからね…!!」
まったくもう! そう言ったところで正臣が反省するわけもないことは明らかだったので、僕は駅に向かって一人歩き出す。
後ろから僕の名前を連呼する声が聞こえたけれど、耳まで熱いこの顔を見せたくない。僕が平然と正臣と話せるようになるまで、あと一晩は必要だった。
* * *
「ちょーっ、ちょっ、ちょっとゆまっち! 見た? 見た!? 見たよね!!」
「えー何がですかー?」
「紀田君とあのお友達、なんだっけ」
「竜ヶ峰帝人君すか?」
「そうそう帝人君! 彼ら今ちゅーしてたわよ!!」
「マジっすか!」
「マジもマジマジ、大マジよ!! 人混みの中、ひっそりと、こっそりと交わされる少年たちの口付け…! 誰かに見られたらと困惑する帝人君に強気な態度で迫る紀田君……イイ…! 今度の新刊は静臨と正帝に決定ね!!」
「あちゃー狩沢さん張り切っちゃってんなー。まあお二人さんにはご愁傷様ってコトで」
「……お前等、車内での会話ぐらい自重してくれ…」