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星を集めて

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殻を破った、そう表現するに相応しい宇都宮虎丸は良くも悪くも素直に自分を出すようになった。憧れと対抗意識をない交ぜにした豪炎寺への態度しかり、自分以外の人間への、もはや惚気の域に片足を突っ込んでいるような猛烈な豪炎寺推ししかり。余人ならうるさがられるようなその言動も、明らかになった彼の年齢故にすっかりチームの中では微笑ましいものとして日常茶飯事になりつつある。基山ヒロトにとってもそれは変わるところではなく、何くれとなく虎丸が豪炎寺の側に行けるよう気を回すのが習い性になりつつあるが、最近はふとそうした折、今ここにはいない緑川リュウジを思い出すようになっていた。
 こどもらしくあることが出来なかった自分の、ここしばらくは一番近くにいた同族。過去のしがらみを断ち切って、専心サッカーに勤しむ今偶然チームメイトになった、ただそれだけだと思っていたが、その実随分と緑川に感情を傾けていたらしい。虎丸が無邪気に豪炎寺を求める様を目にする度、思い出すリュウジの顔と共にヒロトの胸を塞ぐのは、否定しようもない苛立ちと羨望だった。
 あんな風にまっすぐ、側にいてなんて言えていたら。
 詮無い仮定だ。リュウジが今ここにいない理由はそんな生ぬるい感情に起因するような性質のものではない。それを解っていながらそれでも、ヒロトは今リュウジの顔を見、得意げに発せられることわざを聞きたかった。

「基山、もう風呂に入ったか?」
 ぼんやりしていたところへ急に声をかけられ、ヒロトは手に持っていた缶を落としてしまった。幸い空き缶になっていたものの、思いの外高い音を立てたそれに対し「悪い、大丈夫か?」と気遣われる。声をかけてきた相手は風丸だった。
「いや、まだだけど」
「そうか!じゃあ悪いけど一緒に入ってくれないか?」
 片手で拝むような仕草を見せ、風丸は申し訳ないといった態でヒロトを見ている。正直なところ気が進まないが、風丸にこうした顔で頼まれては無碍にも出来ない。
「ごめんな、お前ほんとは一緒に、とか嫌な性質だろうなってのは解ってるんだけど」
「別に……」
「俺も今日こそはゆっくり入りたいんだよ!はしゃいでうるさい奴等も基山が一緒ならちょっとは遠慮するだろ」
 その言い様は、聞きようによってはヒロトがチームメイトから煙たがられている、と暗に言っているようにも思えるのだが、風丸の様子からするとどうやら底意はまるでなく、純粋にヒロトを頼ってのことらしい。そうはいっても円堂守の幼馴染み、細やかな配慮とは縁遠いみたいだ、とすこし可笑しくなり、にこやかに「君の役に立てるなら嬉しいよ」と答えてみせると、風丸は「助かる」と簡潔に礼を述べてさっさと足を宿の大浴場へ向けた。

 風丸の外見的な特徴としてまず挙げられるのは、きりりとまとめられた長い髪だろう。実際試合中視界が確保できないようなとき、目の端でそのシルエットを視認してパスを出すようなことも多い。しかしその髪を保つために彼が日々行っていることを目の当たりにし、ヒロトは脱力せざるを得なかった。
 マネージャーの音無などは事ある事に憧れめいた賞賛を口にするというのに、本人は保つという意識もなくくるくると泡立てた石けんで身体と一緒くたに手早く洗い、あとはクリップ一つで頭のてっぺんにまとめ上げて湯船を堪能している始末。大体特に手のかかる要素のないヒロトより一通りの手順を済ませるのが早いということ自体が理解し難いところである。
「風丸くん、早いね……」
「そうか?まあ早く湯に浸かりたかったからなぁ……」
 言いながら風丸は浴槽のふちにうつぶせのようにもたれかかり、ヒロトに向き直った。しゃべりながら軽くバタ足をして湯を波立てている辺りは年相応か、むしろ幼いといっていいような様子で、ヒロトは彼に対する印象を若干修正する必要を感じる。確かにこんな調子で入浴を楽しみたいのなら、普段手を焼かせられている連中とは一緒にという訳にはいかないだろう。
「んん、でもこんなもんじゃないか?緑川とかそんなに時間かかってた?」
「……なんでここで緑川?」
「いや、髪の長さが俺と同じくらいだからさ」
 言われてみればそうだった。だがヒロトの記憶に緑川の入浴のペース等というものは何処にもない。好きな食べ物、無意識のクセ、そういったものも何も知らない。知っているのはサッカーと、頻発することわざの引用ぐらい、その程度ならそれこそ目の前の風丸だって知ってはいるだろう。
 先輩面、むしろ兄貴面とすら言えるような顔でアドバイスめいた口をきき、その実緑川のことを何も解ってはいなかった。それなのに会いたいと思うのは、今のチームでは吉良のゆかりの人間が自分ひとりになってしまったから、それだけなのだろうか。
「……ごめん、基山。無神経だったかな」
「え?」
「単純に、仲が良いと思ってたから緑川のこと……でも、色々思い出して辛い感じなら悪かった」
「いや、ううん、なんでだろう、そんな気をつかってもらうような反応してた?」
 浴槽の中で正座でもしているかのように、きちんと背筋を伸ばして謝りの言葉を口にする風丸に少し慌ててしまう。
「うん、お前でもやっぱり寂しかったのかと思ってさ」
「……さびしい?」
 緑川、随分お前に懐いてたしな。
 だから、ごめんな、と謝罪の言葉を重ねる風丸に、ヒロトは完全にどういう反応をしていいのか、そして今自分がどんな顔をしているのか解らなくなっていた。寂しい。そうなのだろうか。そして自分たちは端から見て仲が良さそうだったのか。緑川の中にそれほど自分が介入する余地があったとは思えない。そうした色々な混乱が、ヒロトの冷静を奪ってゆく。
「……会いたいんだ」
「うん」
「時間にしたらすぐまた、ちょっと前みたいに戻るんだって、思っても……」
「うん」
「海外だし。メールも、電話も……それに、迷惑だったら」
「かけたらいいじゃないか」
 電話も、迷惑だって。
 今ちょっと俺上手いこと言っただろ、などと、一転浮ついた口をたたく風丸をにらみ付けようと視線を上げれば、目の前には口調に似合わない、柔らかな微苦笑。水気をまとった手で軽く頭を撫でられ、ヒロトはまた俯いた。
「たぶんここの固定電話だったら日本にだってかけられるだろ?観光地なんだし、日本からの人も多いって聞いてるしさ」
「だって、何を話せばいいだろう。練習内容とか話して焦らせてもよくないし」
 ほんとは、サッカーから離れて緑川と何を話せばいいのか解らない。
 折角の風丸の配慮をそんな言葉で打ち消さなければならないことに落胆する。一緒にサッカーをする、それが当たり前すぎて、そうではなくなった今の状況に対応しきれていないのだ。更にはどうやら、今までの当たり前に飽き足らなくなっていたという事実にも気付かされてしまった。
「緑川なら、お前の声が聞けただけで喜ぶと思うけど?」
「そんな、こと」
「端から見てたら虎丸、立向居、緑川くらいの印象だぜ?」
 大丈夫、と笑う風丸はやはり何処か普段チームの中で接してきた印象よりは気安い雰囲気で、ヒロトは浴室の温度だけでは説明できない熱を顔面に感じていた。
「ありがとう、風丸くん」
「や、珍しい基山を見られて面白かったよ、こっちこそどーも」
作品名:星を集めて 作家名:タロウ