とおく、かなたに
「フィオルン?」
声を掛けると、フィオルンははっとしたように僕を見た。その瞳は僕を見て、それから、家の中をしばらく駆け巡る。なにかを確かめるように、ゆっくり。そして最後に手に持ったお皿を僕のほうに向けて、困ったように笑った。
「見て」
やっちゃった。そう言って、ぺろりと健康的な色の舌を出す。
「なんか、つい」
肩をすくめるフィオルンの手には、白いお皿が三枚。夕ご飯でも食べていかない?と誘い入れられたこの家の中に、今は僕とフィオルンの二人きりだ。タンドリーチキンを取り分けるために出した三枚の小皿は、エーテルのやわらかい光に照らされて、白く光っている。
「やあね。私ったら、ぼーっとしちゃって」
「しかたないよ」
「ここで気付かなかったら、そのうち二階に向かって『ご飯できたよー』って叫んじゃってたかもね」
冗談半分にそんなことをいうフィオルンの顔は、明るく振舞ってるつもりなんだろうけど、やっぱりいつもと違う。こんなとき、どういう風に声を掛けたらいいんだろう。
「お兄ちゃん、ちゃんと栄養あるもの食べてるかなぁ」
余分だったお皿を一枚、他の二枚のお皿から引き離しながら、フィオルンがぽつりと言った。
「大丈夫だよ、防衛軍は、そういう体調管理には気を使ってるから」
「そうならいいけど。……ううん、そうだよね。大丈夫だよね」
「うん。大丈夫」
僕が何気なく使った『大丈夫』の言葉に、フィオルンはきっと色々な想いをゆだねているんだろう。機神兵と決戦をするために戦場に行った、ダンバンさんの身を案じながら。
「無理してないといいんだけど」
「それは、昨日出立する前にフィオルンがきつーく言ってたじゃないか」
「そうだね。もううんざりって顔であしらわれたけど」
まぁ、お兄ちゃんだもん、大丈夫だよね。誰かに同意を求めるというよりも、自分を納得させるような、独り言のような声色。それは、いつもの明るいフィオルンのそれじゃなかった。
「あ、ごめん。待ってね、今おいしい料理持ってくるから!」
フィオルンは、振り切るように、片手に持った余分な一枚を食器棚に戻そうとする。そんな彼女とお皿とを交互に見ているうちに、僕は思わず勢いよく立ち上がってしまった。
「シュルク?」
それがあまりにも唐突な行動すぎたのか、フィオルンは驚いて目を丸くしている。
僕は今、どんな表情をしているんだろう。人の表情を観察する余裕はあるのに、自分がどんな顔でいるのかが全く分からなかった。
「ライン」
「え?」
なかなか出てこない言葉をようやく喉から押し出すと、飛び出したのは親友の名前だった。聞き返すフィオルンに、僕はもう一度はっきり言う。
「ライン、連れてくるよ。ダンバンさんに連れて行ってもらえなかったって、不貞腐れてたからさ。訓練も終わっただろうし」
いったい、その時の僕はフィオルンの目にどう映っていたのだろう。きっと、かっこよくは映ってないはずだ。でも、それでいい。だって、唐突にそんなことを言って立ち尽くしている僕を見て、フィオルンが笑ったのだから。
「そうだね。三人一緒がいいね」
まさに今、食器棚に戻されようとしていた一枚のお皿は、また三枚になった。フィオルンの腕の中で、小さく、かちゃりと音を立てて。
「待ってて。すぐ、連れてくるよ」
「あ、シュルク!」
フィオルンの返事も待たずに外へ飛び出そうとすると、やっぱり呼び止められた。振り向くと、いつものあの笑顔で、フィオルンが立っている。
「ありがと」
「……うん」
お皿を大切そうに抱き寄せながら微笑むフィオルンに、僕も頷いて、笑い返した。