幸福論
言いながら空気を切るように腕を水平にふった双識の目の前で断末魔もなく男が倒れた。
続けて襲い掛かる男の首を飛ばし、自殺志願に付着した血液やら脂肪やらを振り落とす。ぎらりとしたそれは路地の裏でもよく映えた。
双識に守られるような格好でその後ろに立っている兎吊木は、眉を動かすこともなくただそこにいた。
時折、茶々をいれるように双識に話しかけながら可笑しそうに笑う。楽しくて仕方がないとでもいいたげな表情だったが、その顔を双識はよく見てはいなかった。
「そうかい?」
「あなたなんて、特にそうじゃないですか」
言葉を交わしながらも双識の腕は止まらない。
次々に襲い掛かる男たちを切り捨てながら、返り血を浴びることも呼吸を乱すこともなく、勿論兎吊木が怪我を負うこともなかった。
「垓輔さんの幸せは死線の蒼なのだろう?
その彼女以上の価値をあなたが他の何かに見出すなんて考えられない」
「双識君、右」
「分ってます」
断末魔。
分離させた自殺志願の一振りで腕を飛ばされ、もう一振りで首を飛ばされた男から血液が噴出す。それをその、特徴である長く針金のような足で蹴り飛ばし離れた場所へ追いやる。
えげつないね、という兎吊木の声を無視したまま双識は構えを戻す。
まるで世間話の延長のように死体を増やす双識にさすがのプロも恐れを覚えたようで場がざわついた。
狂ってる、そのうちの一人が呟いた言葉に、双識の肩が揺れる。
「アンタがいなければもっと早く終わらせられるのに」
「仕方ないじゃないか、見たかったんだから」
「悪趣味」
「いつものことだろう。ほら、再開するみたいだよ」
「・・・もう、構わなくていいですよね」
湿度の高い路地裏に男たちの不快な雄叫び声が響く。脳の奥がじんじんと痺れる様な痛みを感じながら、双識は兎吊木のそばを離れ男たちが囲みやすい位置へと進み出る。
「双識君」
一斉に男たちが双識へと攻撃を繰り出した。
それをかわし、受け流し、タイミングよく的確な反撃をしながらも、双識の意識は兎吊木の声に張り付いていた。
「確かに俺は死線の蒼以上に何も望まない。君の言っていることは正しいよ。
けれど、あくまでもそれは俺の話だよね」
「じゃあ今度は俺が君の幸せについて考えてみようか。
君の幸せは言うまでもなく君の大切な家族が健やかに、殺人気相手にそんなのはおかしな話だがまぁいいか、健やかにそれぞれの人生を歩むことなんだろう」
「そうだな、もうひとつ上げるとすれば君自身が普通の人生を送ること、になるんだろうね。
血腥いこういう世界にも耐え切れないんじゃないのかい?」
「どちらにしたって実にささやかで涙ぐましい幸せだ。
まさか殺人鬼一賊の長男の幸せだとは思えないな」
「なぁ、そんな幸せを望む奴が、どうして俺なんかと関わりを持とうとするんだい?」
ギィン、と刃物のぶつかり合う音が響いた。
最後の一人となっていた男の獲物である刃渡りの広い凶悪なサバイバルナイフが、派手な音を立てて兎吊木の足元へ滑り込む。
しまった、と双識が気づいたときにはすでに遅く、男は一目散に兎吊木目掛けて走り出していた。
狭い路地の間、男と兎吊木の距離はそう広くない。ただでさえ相手はプロのプレーヤー。距離など瞬く間になくなってしまう。
だというのに、兎吊木は、いつものように口元を歪ませて、落ち着き払った仕草でナイフを拾い上げる。
「それは君が、俺との関係に幸せ以上の何かを見出したからじゃあないのかな」
そしてそのまま向かってくる男の腹部目掛けてナイフを突き刺した。
男の目が見開かれ、がくり、とその体が崩れる。男の背中に刺さる自殺志願の一片を見つめ、兎吊木は笑みを深くした。
手に残った最愛の自殺志願を取り落としたことにも対応できず、双識は立ち尽くす。
「共犯、だね」
ナイフを投げ捨て男の血液に染まった手をひらひらと振りながら兎吊木は嬉しそうに、そう言った。