内側に棲まう
生傷の絶えなかった拳も月日が経つにつれ自然に癒えてゆく。
浅い傷はもうそこにあったことすら曖昧で、残すは未だ痛々しく残る深い傷跡。
今の世にもう篭手は必要無い。沢山の物を壊して、守ってきた手を覆うものは何も無く、むき出しの指は至極丁寧に書を捲る。
穏やかな表情が浮かぶ横顔に視線を注ぐも、書に集中している家康はそれに全く気付かなかった。
以前は全てを晒すことを強要する白日のように強烈だったその光は、今ではこの障子から室内を明るく染める程度に落ち着きを取り戻している。
「……家康よぉ」
世が穏やかになるほどに家康の拳の傷は目に付く。
傷だらけの手の甲に指先を這わせると、家康は書を畳み、金色の眼をゆっくりと此方に移した。
「ん?なんだ元親」
触れた拳は想像通りに暖かかった。
皮膚の表面は数多の傷でざらついている。太い指、大きな掌。
所々皮膚が引き攣れてつるりとした箇所が特に痛々しく、否応無く吐く息が大きくなった。
「こいつは、お前が治そうと思えば治せたんだろう?」
家康はその問いには答えず八の字に眉を下げて笑う。
無言は肯定と同じだろう。薬学に通じている家康が本気で治療していればこんな中途半端に治ることもなかった筈だ。
それが、あえて真っ当な治療をせずにその傷を残した。
特別新しい、皮膚が薄くなって桃色の肉が透けて見える引き攣れた傷。
あの男が裂いたのだと一目で分かるその跡は、未だ消えず家康の拳にあの戦を刻む。
そこに触れられるのを家康は嫌がった。
直接的に拒みはしないものの、そこに触れようとすると先程のように眉根を寄せて困ったように笑うのだ。
「なあ家康、もう治しちまえよ。今からでも遅くねえ」
その傷跡の内側に凶王は棲んじゃいねえんだ。
跡に寄せる感情が恋慕であっても贖罪であっても構わない。
だが、お前が選んだのは今隣で息をしているこの俺のはずだろうに。
「……ああ、そうだな。考えておくよ」
家康はそう言って薄桃色の皮膚を今までと変わらず慈しむように撫でた。