言って欲しい
君に会いにアメリカまで来たよ。会えて嬉しいな。(ちょっと恥ずかしそうに)
会いに来てくれてありがとう。とても会いたかったの。名前を呼んでもいい? (もちろん!)
一緒に映画見ようよ。君の好きなホラーがいいな。おすすめはある? 終わるまで手を繋いでいてくれる?(おずおずと)
お菓子食べようよ。おいしいね。お茶でも飲まない? お茶淹れてあげるから飲もう。君がおいしいって言ってくれると嬉しいんだ。(全開の笑顔で!)
君の隣に座りたいな。近くにいたいの。一緒にいると安心するんだ。もっとたくさん会いたいね。君のこと大好きだから。君に触っても良いかな。君に触ってほしいの。(照れた顔で)
キスしたいな。キスしてよ。キスしてもいいよね。キスして欲しいな。(早く実行するんだ)
もっと近くで君を見たいな。いつも一緒にいたいの。(切なそうに)
会議場は静まり返っているが、それはまじめに話を聞いているから、ではない。誰かが吹き出す寸前の、危うい沈黙と緊張感だ。その中で、アメリカは一人席を立ち、傲然と顎をあげて何もない虚空を睨み付けている。
今日の議長国がイギリスだったのは、運が悪かったとしか言いようがない。
ぶふっと、誰かがとうとう吹き出した。それをきっかけに、あちこちで押し殺したような笑いが、さざ波のように広がっていき、最終的には爆笑の渦が会議場を満たした。
それは決して、悪意に満ちたものばかりではなかったが、アメリカの頭を押さえつけるに十分すぎるほど十分なものだった。
どうしてこうなったかと言えば、退屈に任せて、資料の裏に「恋人から言われたら嬉しくってたまらない言葉一覧」を書き出していたのを、イギリスに見つかったせいだ。まるで荒野のイエスに嫌がらせに来た悪魔のような声で、イギリスは言った。
「なんだ熱心にメモしてるじゃないか、珍しい」
シチュエーションまで細かく具体的に想像し、書き出した科白に対する自分の返事まで脳内でシミュレーションしていたアメリカは、とっさにイギリスが伸ばしてきた手を遮ることができなかった。あっと言う間に用紙が、イギリスの手の中に収まる。
「君に会いにアメリカまで来たよ。会えて嬉しいな。会いに来てくれてありがとう。とても会いたかったの。名前を呼んでもいいかな? 立てよアメリカ、何だこれは。みんなの前で説明してみろよ」
これが例えば、議長国がイギリス以外であったなら、イギリスに見つかったとて後でちょろっと揶揄われるだけで済んだ筈だった。また、イギリス以外が議長国で、その誰かに見つかっていたら、恐らくは黙殺されていた筈だ。
本当に、運が悪かったとしか言いようがない。
「それは……」
「ん? 大事な会議をほったらかしにしてまで、ずいぶん熱心に書いてたんだ。当然何か意味のあるものなんだよなぁあ?」
はらはらした日本が口を挟もうとしたが、イギリスに制されてしまう。
「ほら、何とか言えよ。言えないのか?ん?」
「それは」
もし、それが実在の誰かを対象としない、完全な妄想なら、アメリカも「俺が恋人に言って欲しい言葉一覧なんだぞ!」と開き直って笑い話にできたかもしれないが、生憎この世界会議の会議場には、肝心の恋人当人がいるのだった。誤魔化すか、胸を張るか。
否、ヒーローに誤魔化すなどと言う選択肢はない!
「それは! 俺が恋人に言って欲しい言葉一覧なんだぞ! 会議がつまんないから書き出したんだ!」
朗と声を張り上げた。ざわついていた会議場が一瞬、静まる。そうして好意的なくすくす笑いが静かに広がっていき、それはそこでおしまいになる――予定だった。
「ほぉう。つまらない会議をホストして悪かったなあアメリカ。じゃあ会議がつまらない詫びに、おまえのつまらなくない妄想をみんなに聞いて貰おうじゃないか」
「は? イギリス、君何を言って」
振り返り、ぎょっとする。ヒーローとしての選択肢は間違っていなかったが、イギリスに対する選択肢は間違いだったようだ。だが、よけいな一言を言った、という自覚はアメリカにはない。
ないが、そこには、切れる寸前という顔で微笑むイギリスがいた。そこへもって、イタリアが空気を読まずに「わあ、俺も聞いてみたいなあ! 俺もそういうのあるよー考えちゃうよねー」と悪気なく言い放ったのだ。
そして駄目押しにロシアが、にやにやと薄笑いを浮かべながら「やめてよ。アメリカ君の気持ち悪い妄想なんて、僕絶対に聞きたくないよ」と反対したので、イギリスはたちまちみんなの前で読み上げる決心をつけてしまった。
アメリカが想像し、シミュレーションしたのとは違う声が、アメリカの望みを情感込めて読み上げる。カッコ書きの指定や返事まで、ご丁寧に読み上げ、それに従って読み上げる。
違う、あいつはこんな風には言わない、と内心でだめ出しをしながら、アメリカはじっと屈辱に耐えた。
笑い声の止まない会議場をぎろりと見渡す。腹が立つようなバカ笑いをしているのはフランスとイギリス、スペイン、それになぜかドイツに着いてきているプロイセンぐらいで、ドイツや日本、カナダ、イタリアは微笑ましい、というような顔で互いに顔を見合わせて、雑談に励んでいる。他の国もそれぞれ隣近所と話したり、くすくす笑ったりという程度である。取り敢えず、あのどうしようもないヨーロッパの連中は後で思い知ってっもらうと心に誓う。
その両グループの間で、ロシアだけがぽつねんと、いつものポーカーフェイスを崩さず、じっとアメリカを見ていた。視線が合うと、困ったように眉尻を下げ、やれやれというように肩を竦めて視線を逸らす。興味ないんだけど仕方なく聞いている、といった様子だ。
そんなロシアを、アメリカはじっと見つめた。
会議の後も、のんびりマイペースに片づけをしていたロシアのところへ行くと、ロシアはきょとんとアメリカを見上げた。
「どうしたの? 帰らないの、アメリカ君」
「……それだけかい?」
「何がかな。あぁ、災難だったね、とでも言って欲しいのかな。ロシアにそんなサービスないよ」
周りの、二人の様子を伺うような視線が鬱陶しい。それを意識してか、ロシアの態度もよそよそしい。何だか自分一人で焦ったり不安になったりしているようで、アメリカは口の裏側をぎゅっと噛んだ。
ロシアはそんなアメリカを首を傾げて見上げていたが、ふうと嘆息し、僕帰るからね、と席を立ってしまう。何も言えないまま、アメリカは立ち尽くした。
「じゃあね、アメリカ君」
ことさら楽しげに、声を上げてロシアが横を通り過ぎようとする。刹那、
「しっかりしてよ、君の顔見に来たのに」
いつもよりオクターブ低い声で、ロシアが囁いた。はっと振り返ったが、もうロシアはとっくにアメリカから離れていて、横にベラルーシを従え悠々と扉に向かう人波に紛れていた。