三行半の問答
任務に行くと言うわけでもなく、休暇をとって旅に行くというわけでもない。
時折交わされる遣り取りは、この二人のものかと信じられないくらいに冷ややかだった。
そんな空気を更に冗長させるかのように幸村は如何にも不機嫌そうな面持ちで、佐助の後ろ姿を睨み付けていた。
つまりは佐助と喧嘩した。
【三下り半の問答】
幸村は胸の奥の方でそっと溜息をついた。心底面倒くさいと思いながら、それでも幸村はその場を離れることはしない。
二人の言葉の節々には、ちくちくと棘が生えている。
「もういい。旦那なんか知らない。里に帰らせていただきます」
「ふん、帰りたければ帰ればいいではないか」
「脅しなんかじゃないから。旦那、今回ばかりは本気だぜ」
「口煩いのがいなくなって随分清々するな」
先からずっと里に帰ると言って聞かない佐助に、半ば本気で言い返すと、それを聞き付けた佐助は一瞬ピタリとその動きを止めた。
ふうん、そういうこと言う、と吐き捨てた佐助の声は今までに聞いたことのないくらい冷たく、幸村は少しだけぎくりとした。こちらとて怒りで腹が立っているのだ。そもそも、先にそう言い出したのは佐助の方だ、と幸村は自身を正当化する。
「後で泣き付いてきたって知らないから。俺様優秀だから向こう帰れば新しい働き口だってすぐ見つかるだろうし?もっと条件も給料も良い所でさぁ。あーなんで今までこんなとこで文句も言わずにやってきたんだかねー」
独眼竜の旦那の所とか、ああでも奥州は寒いから嫌だな、四国の方なんかいいかも、等と業と聞こえる様に呟いているその独り言にも非常に神経を逆撫でされる。もちろん、向こうもその様に言っているのだろう。そんな相手には最早何を言っても無駄だと思いながら、幸村は佐助がせっせと荷物を纏めるのを眺めていた。
忍は自身の持ち物が少ない。直ぐに荷造りは終わった。
佐助はすっくと立上がり、真直ぐに玄関の方へ向って歩き出した。その動作が、何処か悠々としているのがまた非常に腹立たしい。一瞬で目の前から消える術すら持っているというのに、敢えてその術を使おうとはせずに、幸村に見せつけるようにしているのが分かるからだ。
音も立てずに佐助は廊下を歩く。その部屋から、すこし真直ぐに行った処から右手に曲がれば直ぐにそこは玄関だ。
「じゃあね、旦那。今までお世話になりました」
正面の玄関まで辿り着くと、佐助はくるりと向き直り、丁寧にお辞儀をした。
まさに慇懃無礼とはこのことだ。
幸村が何も言おうとしないのを確認すると、佐助は再び幸村に背を向け、出て行こうとその足を差し出した。
その背に幸村は途端にざわりとした苛立ちを覚え、無意識に呼び止めていた。
「佐助」
名を呼ばれたことに、佐助はぴたりとその動きを止める。けれど振返えることはしない。
なに、と言うように鬱屈とした気が佐助から滲み出ている。
「玄関から出ることはまかりならぬ」
低い声でそう言えば、佐助は器用に片眉を上げて、酷く嫌そうな顔をした。そして、それには答えず佐助は無言でくるりと背を向け、再び歩き出す。佐助は目も合わせずに、幸村の横をすり抜ける様に通り過ぎていった。屋敷の裏口へと向ったのだろう。
長い屋敷の廊下を、こんなにも堂々と歩く忍がいるだろうか――そんなとりとめもないことを考えながら、佐助の数歩後ろを幸村は黙ったまま付いて行った。
佐助は、そんな姿をひとたびちらりと確認したが、目を細めただけで何も言わずに歩き続けた。
家内の者達が不安そうにそわそわとこちらを伺ってくるのがわかって、いたたまれなさと同時に、八当たりだとも思いながらそれにも幸村はまた苛立ちを募らせてしまう。
ばか者が――佐助の背を睨みながら、幸村は何も言うこともなく、けれど心の内にはそんな思いがぐるぐると渦巻いていた。
しばらく歩けば、廊下と裏口とを繋ぐ間に出る。
裏口に続く戸を引こうと佐助がそれに手を掛けた処で、再び幸村の制止が掛けられた。
「そこも駄目だ」
「…じゃあどうしたらいいのさ」
廊下から烏にでも捕まって出てけって?等と、無茶を言う幸村に、佐助は苛立ちを隠そうともせずに言い募る。
下唇を突き出して、顔を背ければ、たん、たん、と地面を叩く佐助の爪先が見えた。
幸村は、ぼそりと、それでもよく通るその声で佐助に言った。
「……出て行くところがないならずっとここにおればよい」
少しのためらいとともに吐き出された幸村の言葉に、今度は、両の眉が寄った。視線が一度だけ空を彷徨い、その肩からは溜め息が漏れた。
「…俺様まだ怒ってるからね」
「俺だって先にお前が言った言葉を忘れたわけではない」
そう言い返す幸村に、佐助は今度はしっかりと目を合わせ、じろりと一睨みしてからその場から去って行った。
…幸村とて、言葉の通り腹立ちが治まったわけではない。主に向ってあんな顔するか普通、とも思う。
けれどその実、心の奥の方には、幸村は幾許の安堵を感じていたのだった。
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もちろん家の人たちは全然心配してません。
江戸時代の離婚云々に関する小咄があまりにも幸佐だったもので勢い書きあげてしまったしろもの。