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【サンプル】ただ、それだけで

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結局、世界的な事件となったあの壁の崩壊を経て、再統一から早十数年が過ぎた。プロイセンは、未だドイツの元にいる。恐れていた彼の消滅は起こらず、むしろここまで様々な危機をスルーして存在しているなら、いったい何があったら彼は消滅してしまうのかと、ドイツは不謹慎な考えを抱いてしまうこともあった。だが、もちろん後悔などあるはずがない。大切な兄と共に暮らせる。それに勝ることがあろうか。決して楽とは言えない再統一であったし、分かれたままでいた方がよかったと言う者もいた。傷跡は深く両者に残り、それはこの先も長らく消えることはないだろう。だがその傷があって、今がある。
 ドイツは幸せだった。
 幸せであるはずだった。これ以上の幸せを望むなんて度が過ぎる、と自分に言い聞かせた。
 もしドイツがヒトであったなら、その寿命尽きるまで、プロイセンへの想いを胸に秘めたままでいられたのかもしれない。だがその思慕の念は、数百年とドイツの中に積もり積もっていったものであり、おそらくこの先も、その身である国が滅ぶまで積もっていくのだろう。
 愛するものと一緒にいられる。それで十分なはずだ。
 それでも、願いがひとつ叶えばその上をまた望んでしまうのは……多分ヒトと同じように形作られた生き物の道理だ。
 昔に比べ、今の方がふたりの距離はずっと近くなった。ドイツが幼いころは、遠征で長い期間プロイセンが帰らないことはしばしばあったし、ある程度成長してからは互いの職務ですれ違いも多かった。しかし、今は違う。ほとんどの主立った仕事を弟に任せているプロイセンは、家にいることも多い。ドイツが帰宅すれば、大概彼の姿を見ることができた。
 やや古い一軒家は、たまに客人もあるが基本的に兄弟ふたりと愛犬達しかいない。昔は使用人がいたり、併合の結果隣国も一緒に住んでいたこともあるが、今はふたりだ。挨拶のキスやハグを交わし、食事を共にし、休日は愛犬達も一緒に車で郊外へ遊びにいったり食料の買出しにでたり……。お互いの交友もあるし、当たり前だがいつも行動を共にしているわけじゃない。それでも、昔に比べたらふたりだけの時間は多い。壁の崩壊から数年は特に、周囲からはベッタリとよく形容されるほどふたりで一緒にいる時間が長かった。互いに体調を崩しやすかったから看護につくことも多かったし、仕事を共にすることもしばしばあったからだろう。プライベートでも仕事でも一緒にいることが多ければ、それはもうベッタリだ。ただ、それも次第に国が落ち着くにつれて個々に動くことも珍しくなくなり、今に至る。
 兄を愛している。自身から湧き出る感情は、自覚してからよりいっそう強くなったように思う。傍にいられることを悲嘆したりはしないけれど、近づけば近づくほど苦しいのも確かだった。プロイセンに関する色恋沙汰を耳にしたことはほとんどないと言ってもいいが、本当になかったのかなど、分かるはずもない。国と国の結婚は歴史に残るからすぐに分かるが、個の存在として、想いを寄せるくらいならそれは分からない。プロイセンが日々かかさず書いている日記を全て読破すればそれも分かるかもしれないが……。とりあえず現在は、ない、と思いたかった。
 一人楽しすぎる、などと豪語してみても、昔はともかく今はそれなりの付き合いはある。旅行好きの国民性が影響してのことか、長い期間ではないが、時間があるのをいいことに、ふらりと近隣の国々や親交の深かった日本にも足を伸ばしていることだってある。表立ってそれらしい言動をドイツにすることはなかったが、未だ経験のない弟を慮ってのことかもしれない。プロイセンが留守の夜、ドイツはいつもより寝付きがよくなかった。
 相手が国でも、そうでなくても、恋をすることはできるし、体を重ねることもできる。いっそ、帰りが遅くなる時や外泊する時は自分も一緒に行かせてくれと頼めばいいのだろうか。それが異常だということは分かるが、この焦燥とした夜をどこかの誰かと兄が楽しく過ごしているのかと思うと、悲しみと怒りが胸を焼き焦がすのだ。
 プロイセンはドイツの兄だ。唯一無二の半身。でも、ドイツはプロイセンに恋人と呼べる誰かをつくることを止めることはできないし、挨拶のキス以上のことをされることもない。少なくても、兄が持っているグラビアやDVDを見る限りでは、一般的な感覚として世の男達が好みそうな女に彼も興味を惹かれることは分かっていた。ハッキリとした美しい顔立ち、豊かなバストとくびれたウェスト。そこから丘陵を描くヒップ。長い手足。もちろんそれはあくまでも男の性的欲求を惹きつける容貌であるから、共にいたいと思う人物はまったく違うかもしれない。だが、普通は自分よりも筋肉隆々とした体格のいい弟を恋人にしないものだ。同性である点に目をつぶるとしても、近親とそのような関係になるのは非常識的だ。
 確かに、兄弟といっても同じ母親から産まれたわけでなし、血筋からしても精々が親戚、といった程度。だが、プロイセンはドイツの中心を担い、育ててきた歴史がある。兄と呼びながら親のようでもあり、再統一後はその結びつきがずっと強くなった。兄弟のような立ち位置ながら各々で国をもつ者たちとも、一国を分かち合うイタリアのような関係とも違う。だからこそ、より背徳的な感覚も強い。
 それでも、ドイツは兄を愛していた。