犠牲→忠誠
臨也携帯が鳴った。そして、出ようと手を伸ばした瞬間に切れる。臨也は顔をしかめた。ディスプレイに表示された名前は、「竜ヶ峰帝人」。
――ワン切りは緊急呼び出し。
それは帝人が決めた合図だった。間違いならばすぐにメールが届くはずだったが、それもない。実に一週間ぶりのコンタクトだった。
臨也は溜息をつくと、作業を中断してGPSを起動した。帝人の携帯についているものだ。帝人の居場所は池袋のはずれにある安アパートのようだった。
「俺が今新宿に居るって、分かっててやってるのかなぁ」
そう愚痴を言いつつ、携帯でタクシーを呼びだしながらコートに袖を通す。袖についている隠しポケットにナイフが収まっているのを確認して、小走りに家を出る。緩やかに降下するエレベーターの中で、臨也は再度溜息をついた。
「なんで言いなりになってるんだろ、俺」
そう、呟いてみた。答えは分かりきっていた。
ネットで交流しながら。自分の望むように帝人を誘導しながら。その合間に見せられる帝人の懊悩する姿は、臨也が今まで抱いたことのなかった感情を呼び起こさせた。
世間一般的には、それを罪悪感と呼ぶのかもしれない。つまり、今まで持ち合わせていなかった罪悪感を抱くほどに、抱いてしまうほどに
――臨也は帝人を、愛してしまっていた。
恋慕の感情に気付いたころにはもう遅く、「慰めてあげる」と、帝人と体を重ねてしまってからはさらに、狂おしいほどに、帝人を愛してしまっていたのだ。
マンションの前で待機していたタクシーに乗り込み、行き先を告げる。タクシーは滑るように走りだした。これは何度めの呼び出しだったかな。そう考えながら、臨也は言い知れない胸騒ぎを抑えられなかった。
十五分もすると、タクシーは目的地に着いた。料金を払って降車すると、初夏の生ぬるい風が吹き抜けてコートの裾を揺らす。臨也は携帯を取り出すと、移動中に届いたメールを再度確認する。帝人からのメールだ。「204号室」とだけ書かれたメールに、臨也は寒気をおぼえた。
臨也は粗末な階段をのぼり、床の抜けそうな廊下を進む。204号室は端の部屋だった。恐る恐る、臨也は薄い戸をノックする。
「帝人君?」
「入ってください」
少しくぐもっていたが、帝人の声が聞こえてきたことに少し安心して、臨也は戸を引いた。散らかったその中は、玄関からそのすべてが見渡せるほど狭い部屋。六畳と言ったところだろうか。物とゴミがあふれ、雑然としている。
「待ってたんですよ、臨也さん」
帝人は臨也の顔を見て、微笑みながらそう言った。臨也は眉をひそめる。
その部屋の真ん中には、大柄の男が、白目をむいて倒れていた。
「帝人くん、何これ。それにどうしたの、その格好」
臨也はコートを脱いで帝人に着せる。帝人の着ている制服のシャツは、ボタンがほとんどなくなっていた。
「ああ、あのですね」
帝人は横たわる男をちらりと一瞥すると、呆れたように溜息をついた。
艶をはらむその仕草に、臨也はどきりとする。帝人の色っぽさがどうも増していくばかりなのを気にしてはいたが、一週間合わない程度でここほどまでになっているなんて。
「僕、その男に襲われてしまったんですよ」
さらり、と、何でもないように帝人は言って、ははっと笑った。その帝人の笑みの自然さに。臨也は鳥肌を立てる。
「青葉君に持たされてたスタンガンを使ったんですけど、私が思ったより威力すごくて。びっくりしちゃいましたよ。死んじゃったかと思った」
ふふふ。帝人は笑う。いつもと変わらない――創始者の顔で。
「それじゃあ、意味が無いのに」
臨也はその場から逃げだしたい衝動に駆られた。体中にじわじわと嫌な汗がにじむ。しかし、臨也から目を離さない帝人に、床に足が縫い付けられてしまったかのように体は動かなかった。
「そう、臨也さんにお話があるんです。お願い、って言ったほうがいいかな?」
帝人はシーツがしわくちゃになったベッドの上に腰掛ける。
「その人、いつ起きるかわからないし、いきなりですが本題に入りますね」
そう言って、帝人は着せてもらったコートをごそごそと探ると、袖にある隠しポケットを探し当て、柄のほうをはい、と臨也に差し出した。臨也は反射的にそれを受け取る。臨也がナイフを握るのを確認すると、帝人はやはり笑顔のまま、
「臨也さん、そのナイフで、その男を殺してくれません?」
そう言った。