【ポケモン】いのちの記憶
―――なんでもうこっちを見て尻尾を振ってくれないんだろうなあ。
ちいさな、きいろいからだ。ひと抱えくらいの大きさだったから土を掘るのにはあんまり苦労はしなかった。掘り返されたら困るからな、と手伝ってくれた幼馴染は穴を深く掘ってくれた。二の腕までの深さになったくらいで、掘るのをやめた。毛布にくるまれたちいさなからだを抱き抱える。毛布越しにもすっかり冷たく固くなっているのが分かった。また目の前が滲んで見えなくなった。
―――毛布は別に燃やそう。一緒に埋めない方がいいだろ。
首を傾げる。幼馴染は続ける。―――ポリエステルだろ、それ。やっと思い至って自分は頷いた。くるんでいた毛布をそっと取る。柔らかさのなくなった身体が直に触れる。冷たい。そして何より、ずしりと重い。薄く開かれたままの目が、ぼんやりとどこかを見つめていた。苦しそうな表情はなかった。いつもの顔でぺろりと舌を出したまま、そこで止まってしまったようだった。唇をきつく噛み締めた。俯くと零れ落ちるものがあった。幼馴染は知らないふりをしてくれているらしい。
帽子を深く被っていてよかった。
たぶん自分は今一番みっともない顔をしている。
もう一度穴の中に収まった身体を撫でる。嗚咽は洩らさなかった。代わりに止めようもない涙が次から次へと滲んでぼたぼた落ちていた。幼馴染が土に刺していたスコップを握るのが視界の隅に見えた。―――分かっている、もう埋めてあげなければ。
一歩下がると、心得たように幼馴染は土をかけ始めた。ひとかけ、もうひとかけ。大好きだった、ずっと一緒だったきいろい毛並みがどんどん見えなくなっていく。お別れだ、お別れだ。涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃだった。もう撫でることができない、それが痛いほどに寂しくて悲しかった。思い出されるのは、生きていたときに見た最後の姿だった。横にごろりと寝転がった態勢のまま、短く浅い呼吸を繰り返していた。自分はそれをずっと撫で続けていた。ときどき腕が辛くなって手を引っ込めると、尻尾を振るちからもなくなったその子はきょろんとした目をこちらに向けてきた。構って欲しいときの仕草だった。
もうあの目を見られない。
やめてくれと叫びたかった。もう一回だけ撫でさせて欲しい。冷たいのは分かっていた。撫でたところで泣きたくなるだけなのも。だけれど、もう撫でることができなくなるのはもっともっと寂しくて悲しかった。まだ土のかかっていない顔を、ふわふわとした首元の毛並みを、まだ見ることができた。―――手を伸ばせばたぶん撫でることができる。今なら、まだ。
それでも自分は一度下がった一歩を踏み出すことができなかったのだった。
自分はひたすらにあの固まった冷たい感触が怖かったのだった。いのちはそこになかった。大好きだったあのふわふわとした毛並みも、今はただただ寂しい感触を与えるものでしかなかった。いくら撫でてもこちらを見ることのない目を、もう一度覗き込むことも。
結局自分は止めるでもなく手伝うでもなく、終始俯くだけに留まっていた。とうとう完全に見えなくなり、掘った分の土がきれいに被せられた。空気とあの子の分膨れた土の上に幼馴染の手から花が手向けられる。おい、と突っつかれてやっと自分が花を持ってきていたのだったと気付く。花屋の上等なものではなく、近くで摘んできた野花だった。店など開いていない時間だったから。
束ではなく、広げて被せるように供えた。殆どを任せきりにした自分が関わった、ほんの少しのことだった。
涙と鼻水で汚れた手で供えるのが酷く申し訳なかった。
自分は何をしてやれたのだろうか。今となっては何もしてやれなかったような気もしていた。慰められ、励まされるばかりだった。いつだって。
からっぽになったボールを見るたびに悲しくなる。気付くことも多い。自然とゆっくりと歩くようになっていたことを。もう必要のない道具を探してしまうことを。どこかにあのちいさな姿を探すことを。
こんな日には名前を呼ぶ。あの子はどんなに遠いところにいてもあの長い耳で音を拾い、擦り寄ってきた。来ないのを承知で呼ぶのは、半ばいないことへの確認のようなものだった。同時に、有り得ないことだけれど、こっちに向かって駆けてくるあのちいさな姿を探してもいた。少しだけぼやけてしまった記憶にあるあの子を思い出しながら、今日もまた名前を呼ぶ。口笛を吹く。くさはらが波のように揺らめいている。口笛の音が遠くまで延びていく。そのうちかすれて消えていく。あの日のように帽子を深く被り、上手く吹けなくなった口笛を吹こうとする。
もう一度だけ撫でたいなあと、そんなことを思う。あのふわふわした毛並みを撫でて、ご飯を食べて、一緒に寝っ転がって。今の時期だったらその辺に生えているねこじゃらしで遊んだっていい。水遊びをしたってきっと楽しいだろう。―――そんな簡単だったことがしたかった。
いつしか口笛は途絶えていた。ざわざわと、葉っぱが擦れる音がしている。夏の真っ只中、青々とした草の波。照り返す太陽。蒸し暑い夏の匂い。去年と、一昨年と、どこが違うのか分からないくらいだった。
それでもこのくさはらのどこを探しても、ちいさな姿はもうなかった。
作品名:【ポケモン】いのちの記憶 作家名:ケマリ