家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。
いつものように帰宅すると、妻は床に倒れている。背中に包丁を刺した状態で彼女はうつ伏せになって。そこらには血糊がついている。ふと思いついて一言、
「今日のは掃除が大変そうだ」
と笑うと、妻は倒れたままピースサインを出している。その表情がかわいくて、めんどくさいことをした妻に全く怒りを覚えない。雑巾で血糊を拭きながら、今度はもう少し掃除しやすい量にしてくれというと、ごめんなさいと舌を出して謝る。
ここに来客がない都会だからよかったような者の、田舎だったら回覧版はポストにつっこんでおくようなぞんざいな人はいないからきっとドアを開けてびっくりしてしまい失神することだろう。
死に方も彼女は多彩であった。いったいどうしてそんなに考えつくのだろう、というくらいに。圧死・縊死・殴死・虐死・絞死・斬死・刺死・射死・銃死・磔死・毒死・爆死・焚死・扼死・轢死。家の中でマンボウの着ぐるみが死んでいたときは、さすがに娘のなれた僕ですらドアを閉めようかと思うほどだったし、モデルガンを抱えて軍服姿で寝ているとまるで僕が殺したかのような悲しみを覚えた。あと、死んだ振りをした後に料理を作っている間も矢が刺さっているのは正直勘弁してほしいものである。
「で、なんでトマトスープなんだ」
「味薄かったかな」
「いや、血糊拭いた後でトマトスープは」
「…ごめん」
「あ、いやいいようん、べつにおいしかったし」
あわてて訂正するのを彼女はふふっと笑う。
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「課長、ここのデータを確認してほしいのですが」
「どれどれ…うん、なるほどよくできているじゃないか。ここが少し違うな、えっとこうして、他はよくできているよ。その調子だな」
「ありがとうございます」
僕に部下ができたのは結婚してすぐのことだった。部下は一生懸命で、それに教授するのは何ともやりがいがある。というより、楽しい。今日もいつも通り残業をしていると、部下のケータイに電話が入る。
「すいませんっ…もしもし、うん、俺まだ仕事だよ。…わかった、もうちょっとしたら帰るから」
電話をおいた彼に、僕はあえて野暮な質問をぶつけた。
「誰から」
「今つきあっている彼女からです」
「同棲とかそういった感じの?」
「はい。でも結婚をそろそろしようかって言う話し合いしていて」
その言葉を聞いて、僕は言った。
「今日はもういいよ。後は俺が続きを作成しておこう」
「え?でも課長の手を煩わせたりしちゃ」
「いいからいいから」
僕はそこまで言うと微笑んでいった。
「彼女を寂しい思いさせるのはもっと悪いだろう」
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僕は部下のデータの続きを入力すると、一息ついた。
「今何時だ…2時か」
こんな時間に電車は走っていないだろう。タクシーを使うのは高い。だが、僕はそれでも帰ろうとした。
「たまにはあるいて帰るのもありかな」
部下が彼女と話しているのを聞いて、かつての自分を思いだした。
あのころは彼女に会うだけで楽しかった。二人でバカみたいにいろんなところへ行った。夜に当てもなくオープンカーをとばして海まで行ったこともあった。
「彼女と俺のファーストキスもあのときだったっけな」
いろいろと回想する。めまぐるしくいろんな娘とが頭をかけめぐる。そしてやがて彼女は白いウェディングドレスに身を包む。僕の生涯のパートナーになってくれると彼女が決断してくれたことは、本当にうれしかった。同時に、もっといろいろなことをさせてあげたいと思った。
だが、その思いを引きずりながら、結局結婚後の僕は彼女になんにもできなかった。
会社では少し昇進して、今まで若手社員として先輩の言葉をただ忠実に実行する立場だったのが、後輩・部下を持って仕事する立場になったのだ。
後輩・部下は一生懸命で目には希望の炎がともっている。僕が大学を卒業したてのころでもここまでの熱意はあったろうか、と振り返ってしまうほどに。たとえ部下は僕が二流の大学の出身であると知っていても、表でも裏でもバカにしない、そんないい性格の連中が集まったのだ。彼ら自身は有名どころをでたエリートなのに。
僕は指導しながら、それが楽しくなっていく自分に気づいた。おもしろい日々の中で、家で僕の帰りを待ってくれている妻の気持ちを考えなくなっていた。
ある日帰宅すると、妻が玄関で血を流して倒れていた。
「…どうしたんだ、おい、しっかりしろ」
揺すっても起きない。僕はもうパニック状態だった。どうすればいいのかもわからなくなっており、あわてるばかりで電話一本すらかけられなかった。
その時。
「冷静にならないと見殺しになるだけでしょ」
気絶しているはずの妻の声が聞こえてきた。放心する僕をみて、
「ドッキリ大成功」
とピースサインを両手で作ってみせる。深い息を吐いて僕は
「寿命が縮むかと思ったよ」
というと、彼女はにこりと笑いながら
「私のこと好きでいてくれるのかなってちょっと確認したくなっちゃって」
と、なんの変哲もない妻の口調で言った。彼女は別に軽い世間話ののりで言ったのであろう。
でも、その言葉は脳裏から離れなかった。
布団の中で僕は考えた。
<彼女は家で、僕をずっと待っているんだ>
<僕のことを気にかけてくれるんだ>
<それを僕は当たり前と思っていないだろうか>
<家で一人待つ彼女のことを考えただろうか>
翌日以降も死んだフリは続く。それは彼女の自己アピールの意味を果たしていたのだろう。私をみてほしい、私を気にかけてほしい、ということを体を張って伝えようとしているのだと。
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ドアの前についた。
他の夫婦とは明らかに違う日常。
でも、それで夫婦円満にやっていけるのなら…
それもそれでありだろう。
今日はどんな死に方をするのか、楽しみにして、僕はドアを開ける。
No matter the time I get home, my wife pretends to be dead.
作品名:家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 作家名:フレンドボーイ42