ごめんなさいを殺害
記憶が無い、そう言うそのひとみは困惑に薄く濁っていたけれどその膜の裏には強い意志が見えた。ああ、こいつもだ。こいつも世界に殺されたかわいそうな迷えるこひつじ。また俺の周りにひとつ、きれいが増えた。ほうらおいでよ、そんな不安そうな目すんなって、大丈夫さ、お前は俺とは違う、お前は悪くないんだ、そうだろう?ここにいる奴らはみんなどこか影を抱いていたけれど、それは得てして自らの光の引き立て役だ。影があるから光が映える。ずっと抱き温めてきた夢を愛を自分を全ての世界を奪ったその手を憎んで真直ぐに前を見て神にも抗おうとするそれはあまりにも、あまりにも。彼女が神を憎み、その背に爪を立てる度に俺の手が赤く、赤くなっていく。抗うこともせずただ逃げるためだけに自分で自分の首を絞めた俺が、彼女が欲しくて欲しくてたまらなかったであろうそれを自ら踏みにじったこの俺が、彼女の隣にいるなんて!それは最高の罰だった。彼女が自らの境遇を憎む色をひとみに浮かべる度に俺がいかに最低な人間かを再確認させてくれた。そしてそんな彼女に惹かれるようにしてこれまたかわいそうでひどくきれいな奴らに囲まれる度、俺の手は赤く黒く。それが心地よかったのだ、ひっでえマゾだろ?そう言って笑うそいつの目は何も映していない。また、もう何度目かの俺の首を絞めたそいつの手は、手は、
「……っなた!日向!!」ぐらぐらり、揺れる頭に薄くぼやける視界、そんなしなくたって起きるっつーの、ってかあれ、俺、「お前すっげえうなされてたけど…大丈夫かよ?」そう言って音無が俺の顔を覗き込む、近い、お前コレなのか?お決まりの台詞を吐けば「あー、はいはい。」笑う音無の手が俺の額を撫でる。汗で張り付いていたらしい前髪が掻きあげられてきもちいい、あれ、っていうかなんでこんな、「消えないように授業サボりに屋上来たらお前が寝ちまったんだろ、」ああごめんごめん、って俺何も言ってないのに、何だか最近音無との距離に調子が狂う、なんつーか、なぁ?正直、誤算だったというか、なんつーか、音無は思っていた通り真直ぐな、ゆり達と同じきれいな奴だった。神に抗うどころか天使さえ味方にしちまうような奴で、こいつなら神だって説得できちゃうんじゃねえかなって割と本気で思ってたりする。そんなこいつの隣にいることは俺にとって最高の罰なはずだった、実際こいつのきれいさはひどく真直ぐで頑なで、でもあたたかくてどうしようもなく痛かった。きれいなこいつといる事で汚い俺がもっともっと汚くなって、それでいいはずだった。でも、音無は、きれいすぎた。こんな汚くてどうしようもねえ俺みたいなのが傍にいることによって音無まで汚してしまう気がした。俺なんかに影響されて汚れるような奴じゃないってわかっていたけれど、それでも。幸いなことに、というか当然、音無の周りには人が集まる。俺とは違う、きれいな奴らだ。最近では直井やら天使やらに囲まれていることが多くなって、ああこれで俺もこの痛みから逃げられる、と。(その痛さにずっと縋ってきたっていうのに、この痛さは、この痛さだけはどうしても、)そうしてふらり、背中を見せようものならあいつは必ず俺の腕を掴み、「日向、」ぞわり、怖くなった。俺を呼ぶその声を、俺を選ぶその腕を、たまらなく嬉しいと、ずっとこのままでいれればいいと、そう思ってしまう自分の浅ましさに、どうしようもなく怖くなったのだ。今だって、俺は一人屋上に逃げるつもりだったのに、なんで、こんな、あやすように俺の髪を梳く音無の手のあたたかさがもう一度死ねそうなほど恥ずかしいというのに、振り払うことができない。「なぁ、日向、」ああ、やめてくれ、ずっと、ずっと逃げてきたのに。こいつの俺を見るそれにもうずっと前からその色が潜んでいることは感じていた、だめだ、違うんだ、お前は勘違いしているんだ、お前にはもっと相応しい子がいくらでもいるんだよ、それなのに、なんでよりによって、「日向、なぁ、気付いてんだろ、」だめなんだ、俺は、お前にその言葉を言われたら拒めない、だから、「日向、俺は、 」ぐらり、揺れる。自ら爪を立て続けたその手を、音無の背に回す。ごめんなさい、それは音になることなく喉に張り付いたまま、漏れたのはただ嗚咽、それだけ。