忘却こそ死に勝る
父母の温もりは覚えていない。物心ついたときは遠縁の親戚夫妻の元で育った。まるでキネマや小説に書かれるような意地悪な人たちでは当然なく、自分自身もその頃決して手のかかる悪餓鬼というわけでなく、既に状況によって上手く立ち回ることが出来る気質だったため、案の定不満や不自由の一つもなく、諸々もうまくやり過ごして暮らせていた。
夫妻には子供が二人いた。夫妻はその子供たちを当然愛していた。だから、自分を疎ましく思うような人たちではなかったが、それでも、いつだって笑顔で言うのは「あなたが好きなようにしていいのよ」であり、情けなくも、鳴海にとってその言葉は重かった。決して彼らが自分を嫌っているのではないことはわかっていた。しかし鳴海は、この人たちが自分を子供たちと同じように叱責することは恐らく一生ないだろうとわかっていた。気付かないわけがない。元より、気付かないでいられるほどの甲斐性はなかったし、しかし何より、まだ一人では生きていけない歳だった。鳴海は、まだ幼い思考での話だったとはいえ、「一人」ということの定義をなんとなく知っていた。
だから鳴海は、早く成長して、一人で生きていくことを何より望んだ。
幼いながらも、漠然と鳴海は、死にたくないと思った。一人でも、どんな世界であっても、何としてでも生きていたいと強く願った。理由はなかった。生きていくためには強くならなければならないと考えた。そしてそれを、いつしか自分の正義とした。
強くなること。掲げてきた正義は、いつしか鳴海を軍に入れた。御国の為と身を削り、それでも強くあれるならばと、鳴海は正義を立て続けた。
ずっと一人だった。それが当たり前だった。疑問もなかった。
だから軍を抜けてヤタガラスに身を委ねたときも、思うことはなかった。生きていること、本当に、それだけあれば鳴海は満足だった。
だけど今、今更になって、鳴海は一人ではなくなった。
一人の書生を託された(それでもこの表現は正しくないのだが)だけではない。好奇心旺盛な記者や、この街の人々も、今更自分と切り離して考えることなど、鳴海にはすでに出来なくなっていた。
どうして今更、という疑問は尽きることがない。しかし、着実に、今まで己の為と立ててきた正義にも変化が訪れている。自分のことだからわかる。
そして、それは不思議と、思っていたほど悪い気分ではないのだ。
「ねえライドウ、だからさ、俺、今ならいつ死んでもいいかなって思ってるんだよね」
ライドウは少しびっくりしているのか、はたまたそうではないのか、顔を上げて此方を見やる。
「人間って、生まれてくるときも一人だし、死ぬときも結局一人でしょ。人間が生きるのは死ぬまでの暇つぶし。でも、その暇つぶしの間で人と巡り合うだけで、その一時だけでも一人ではなくなる。それって凄い幸せだと思わない?」
「はあ」
「少なくとも俺には幸せだよ」
何年か前の自分だったら決して言わなかったであろう、理屈が通っているのかいないのか、ともかく完全に幸せに沈んだ言葉も言えてしまうのだから、これもまた幸せと言わずなんと言うだろうか。
何故だかとても歌を歌いたくなって、童謡を口ずさむ。親戚夫妻が、彼らの子供によく歌って聴かせていたものだった。必要ないと思っていたものでも、覚えているのだから不思議なものだ。そしてそれをこうして人前で歌えるまでに、自分も成長したということだろうか。
さあどうだか、そんなことはどうだっていい。
「鳴海さん、大人気ないです」
そう言ってライドウは、わかりにくいが確かに笑う。
「大人気なんて大人にはいらないんだよ。だって大人だもん」
なんと幸せ。こんなことを思えることさえも、こんなことを言って笑えることも。
鳴海は、実際この先何があっても、自分は生きていけるのではないだろうかと本気で思っている。昔の正義は忘れたが、忘れただけではない、今は新しい何かがそこを埋めている。昔の自分に対して誇らしくなれるほどの何かだ。
親戚夫妻は元気だろうか。軍を抜けるまでは何度か便りがあったから、きっと元気なのだろうと思う。連絡先は知らないが、今の自分にはきっとすぐ調べられるだろう。忘れた昔の自分を思い出すのも悪くはないのだろうが、それはまた今度にしよう。生きているから、生きていれば、然るべき「また今度」はきちんと来るはずであるのだから。
「ライドウ」
今日は言いたいことがよく浮かぶ日なんだ。だから言うよ。そう言って鳴海は、ライドウの方へ向き直った。
「これからも、どうぞ宜しく」