暁天
ふと目が冴えて寝付けない。
何の刻の頃だろうかと身を起こして障子の向こうを窺い見る。
それだけで外の様子が知れるはずもなく、仕方なしに布団から身を乗り出す。
夏が近いとはいえ、夕刻から朝方まではやはり冷える。
ひとつ身震いして、肌寒さに一層目が冴えた。
ほんの一寸二寸、すいと障子を開ける。
空は東の端をほんの少し闇から開放し始めて、だから夜明けは近いのだ。
今から寝付いたとて、きっと目を覚ますのはろくな時間にならない。
どんな刻に目を覚まそうと起きだそうと、責める者もないのだが。
それがまた一層居心地が悪くて、だから百介はふらりと腰を上げた。
白み始めた江戸の町は、昼の喧騒は無くしかし何かが動き出そうとする気配のようなものが感じらる気がする。
ひっそりとして、頬を撫でる冷えた空気。
この夜という皮を一枚破るだけで、活気と騒然さと鬱然とした諸々が溢れ出すのだ。
だが、今か今かと待ち焦がれるそれらのものを押さえ込むのは、しじまと薄闇。
どれだけの力で内から押されようと、ある一定の刻までは頑として動かず制して厳然とある。
暗く抗えず、微かに確かに惹かれてしまうものをそこに百介は感じる。
引かれる。
曳かれる。
この上なく惹かれる。
それは
りん
耳にした音に目を丸くして振り返る。
これは先生随分お早いと、見知った顔の御行姿の男は口元で笑った。
白装束がぼんやりと薄闇に浮かび上がる。
おはよう、ございますと、
何故か声が掠れた。
こんな刻限から散歩でございやすか。
呆れているのかもしれない男は、しかし笑う声音で語りかける。
目が、冴えてしまってと躊躇いがちに返す。
何故躊躇うのかと言えば、
……よく分からない。
ちらりと視線を送る。
真白ないでたちでありながら、どこまでも果てしない闇を感じさせる男。
他に縛られることも律されることもなく、頑としてそこにある。
…魅かれる。
惹かれるのは
先生、と呼びかけられて我に返る。
怪訝そうに見返す瞳から逃げるように、あぁと百介は空を見上げた。
その視線を追って、白尽くめの御形の男も視線を上げる。
動かない空気とは裏腹に、徐々に侵蝕される闇。
じわじわと居所を追いやられる闇と攻め入る光に境界はなく、交じり合い溶け合い滲むように結ばれるように。
この空に境界はないのだろうか。
昼と夜、その境界は。
ならば。
ならば自分は。
ならば。
この目の前に居ながら決して届かない男は。
そして下ろした視線の先。
男と自分、たった数歩の距離の間。
明確な線引き。
二人の間に横たわるのは、見えない、けれど何よりも確固たる境界線。
目を逸らす。
あぁと。
百介は目を細めた。
夜明けは、もう間近だ。