宵闇
至極真っ当に、多少世間から外れているところもあるとはいえ、彼は極々真っ当に光の当たる道を歩んできた。
穏やかで欲の無い人柄は周りにも快く受け入れられ、柔らかい笑みは優しい光を思わせる。
光。
光とは言っても、それは闇夜を照らすほどには目映くは無い。
けれど彼が立つことによって仄かに白むその明度に、耐えようも無く引かれるのは事実。
そうだ。
惹かれているのはむしろ。
心の片隅のそれを自覚して、深く自覚しながらひっそりと仕舞い込む。
奥底深く、さらに深く。
惹かれ合うほどに、顔を背ける。
真っ直ぐに双眸を捉えながら心を通わせながら小さな信頼を寄せ合いながら。
彼の人の奥底の願いには顔を背ける。
踏み越えることのできない境界。
何故叶わぬかといえば、踏み越えさせないからだ。
どちらとも付かない光と闇の間の灰色の空間。
引き摺られた彼が今現在漂うように迷うように佇むそこ、それ以上の侵入を絶対に拒むのだ。
この自分こそが、拒んでいる。
境界のこちら側に明確に足を踏み入れた瞬間、彼の光は、彼の人は輝きを失うのだろう。
多分、おそらくは。
彼が、こちら側を望むと同時にどこかでそうなり得ないという確信をも持っているのは、踏み越えた先で彼が彼たりえることはないと理解してるから。
そして、叶わぬ願いだからこそ、思いは深まるのだろう。
途切れることもないのだろう。
そうだ。
叶ってしまえば光は失われる。
終わることの無い願いだからこそ、自分は永遠に彼の中にあり続けることができる。
それだけが、ただそれだけが望みだ。
ふらりと足を向けた先で、目にした姿に軽い驚きを伴う。
あたりを薄闇が支配する、冷えた空気が肌に沁みる宵から朝に向かう刻。
いまだ肌寒ささえ感じさせる季節だというのに、羽織一枚もせずふらふらと江戸の町並みを歩くのは彼の人。
こちらには気付かず歩を進める。
その後姿がどこか痛みを伴うようで、だからどうしたものかと一瞬、ほんの一瞬だけ躊躇した。
りん
音を響かせれば、驚きの表情で振り返る瞳。
交わす言葉は一つ一つが胸に落ちる。
朝を間近に控えた薄闇の中で、やはり仄かに光を放つような彼。
真昼の輝きではない。
明けの空。
しらじらと闇が霞むあの刻限。
闇の空に歩み寄ろうとするかのように迫る薄い光。
いくら闇に混じろうと切望しても、朝が宵に喰われることはない。
いくら闇が絡めとろうと熱望しても、朝がその身を引き渡すのは昼でしかない。
闇ではない。
それはありえない。
彼の人は明けの空。
そう。
自分は。
"夜明け"に、会いに来たのだ。
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