聞こえる平穏
季節は春へと移り変わり、はらはら舞い落ちた桜の花びらが地面をピンクに染め上げている。
無事に進級できた珠紀と拓磨は、3年になってからも同じクラスとなった。
嬉しいような、少し照れくさいような。何ともいえない気持ちもあったが、胸の大半を占めるのは幸福感だった。
何かと邪魔をしてくる煩い先輩もいない今は穏やかな時間ばかりが流れている。珠紀がこの村に来た時のことを考えれば嘘のようだった。
しかしこれは紛れもない現実。
「拓磨?」
「ん?」
自分の名前を呼ぶ声に拓磨は声の主へと視線を向けた。日誌を書くのに集中していた珠紀がいつの間にか顔をあげ、こちらを見ていた。どうした? と尋ねると珠紀は呆れたように溜め息を吐いた。
「それはこっちのセリフだよ、拓磨。さっきからぼーっとして」
「ああ、いや……別に」
理由を言うのも躊躇われて拓磨は言葉を濁す。しかしそんな歯切れの悪い彼に珠紀はますます眉根を寄せる。
「なんなのよ、もう。人に日直の仕事まかせっきりなのに」
ついには持っていたペンを置いて頬を膨らませる珠紀に、拓磨はさすがにまずいと思った。けれども素直に自分が今まで思ってたことを言ってしまうのも憚れる。ならば、言い訳をと拓磨は口を開いた。
しかし――。
「言い訳しても無駄だからね!」
そう言われては拓磨は口を閉ざすしかない。じーっと見つめてくる珠紀の視線に耐えかねた拓磨は、視線を逸らす。そしてぼそぼそと珠紀に聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟く。
「いや、な……。幸せだなと思ってな」
拓磨の横向いた顔はほのかに赤く、珠紀もそれにつられるように頬を染める。それから珠紀は彼に日誌を押し付けた。それが照れ隠しでの行為なのだということは気付いたので、拓磨は文句も言わず素直に受け取った。
続きを書くべく日誌に向かった彼の唇には笑みが浮かんでいたのだった。