喰えぬ。
幾度となく戦が起きているというのに傷一つ目だたたない白壁を眺めていると豪快な性格とは裏腹に几帳面な面を取り持っているのだろうかと思わされ、四方を囲うような絡繰りは異国の物語に出てくるトロイを連想させた。
「どうだい? アンタには、価値がわかるとは思わねぇがなぁ」
くつくつ、と元親は喉の奥で堪えたような笑いを零しながら愛でるように木馬の足を撫ぜていた。得物である輪刀や錨槍を持ち合わせていないというのに武器の話を誇らしげにする元親に対して元就は呆れを込めて盛大な溜め息をついた。
「……なんだ、我を呼んだのはこんな下らぬ為だけか」
用がある、とそれは真摯な目で言ってきたのに免じて、同盟やら領地の話だろうかと思ったのに読み違えたか、と元就は悔しそうに唇を噛む。
長年知将として中国に君臨する元就に人を見る目がないというのは毛頭ない。甘言には目もくれず、間者はすぐさま追い出すし、謀をしている者や己を過信しすぎている者にも誰よりもいち早く気付くような男だ。
けれどもそれ故に愚直さを計算に入れるのを怠ってしまい、元就は隻眼の鬼との逢瀬を了承してしまったようだ。
「あん? つまらないって事ぁ、させねぇよ」
元親は木馬を手でもう一度撫でれば兵器には興醒めたように元就を振り返り、本来目指すべき部屋へと一直線へと歩き始めた。戦場で歩き回る時のスピードと同じく大柄な元親には普通でも女子供と同じくらいの背丈しかない元就にとっては小走りと同じくらいだ。呼んだ我を放置して先に行くとは何事ぞ、と不平を漏らしつつ元就は苦情を言いながらもついて行く。
「アンタにはこのスピードじゃあ、早かったか?」
くる、と首だけで振り返った元親はどこか揶揄するような口調で元就へと話し掛けた。底が高い靴で転けないように、注意しながらも走って元親へ追いついた元就は、やっぱり細くなっている踵で思い切り背中を蹴っ飛ばした。
「……痛ってぇ!」
「ふん、我を置いていったのが悪いのよ」
背中を痛そうにさすりながら今度は身体ごと元就の方を向いた元親は、彼の頭ぐりぐりと撫で回した。
「なんて事するんだよ」
「や、やめぬか! やめぬと申すなら、もう一度蹴るぞ長曾我部」
頭を撫でられるのに反抗するように、元就は元親の胸元を叩いていた。無論女と見間違う程に小柄で非力な元就がするのだから、ヒールで蹴られるよりは痛くないらしく、けろっとした表情でいた。
「ほら、これでいいだろ?」
頭から手を離した元親は、今度は元就の手を引っ付かんで歩き始めた。先ほど表記したように、元親と元就の背の差は歴然としており、元親の歩みは元就の小走りに近しい。故に彼は驚きながら、少しばかり息を荒くしながら追いつこうと躍起になっていた。
「もっと、ゆっくりと歩け長曾我部! いきなり腕は掴むし、歩き始めるし貴様はなにを考えているのだ」
「アンタが置いてくなって言ったからよ、手ぇ繋げば置いてけないだろ?」
誇らしげに笑いながら元親は言う。元就に冷ややかな目を向けられても気にしていないようであった。
「全く……貴様は馬鹿か」
「痛ってぇよ! その靴の痛みを知らないからやるんだろ?」
元就はふ、と笑えば元親の足に置いた靴でぐりぐりと踏みつければ、元親は涙目になりはじめていた。
「我はそんな事知らぬ。変な事をする貴様が悪いのだ!」
元就はふん、と元親から目線を外した。どうしてこんなところに来てしまったのだろう、我に利益らしい利益がないではないか、とぶつぶつと呟いている。元親はそれ好機と空の色を称えた隻眼を歪ませて笑えば、目の前の男の膝へと腕を回してひょい、と持ち上げた。
予想していたなら兎も角、いつの間にやら身体は浮いてるし、上を見上げれば隻眼な男があるので元就の頭はパンク寸前だ。知将といえど咄嗟の事にはパニックを起こすらしい。
「これで置いてかないし、アンタも小走りになんなくていいだろ?」
「しっ、痴れ者が! 貴様の兵士が好奇の目で見てくるではないか」
元親直属の部下がひそひそと話し込んでいるのを指差して元就は喚く。実際は好奇の目で見ているというよりは「元親様もよかったなぁ」「元就様とよろしくやってるんじゃ?」といった下世話な会話をしているのだが、知らぬが花だろう。
「あぁ? なら早く部屋に入っちまおうぜ」
「それはそうだ……って長曾我部、走るでない」
早く部屋に向かう為か元親が少しばかり大股で急ぐように歩くものだから、腕に抱かれた元就は酷く上下に揺られるらしく、元親の首に抱きついた。