誰かの願いが。
手にした楽譜を、ミクはぼんやりと眺めた。一番上には、走り書きで「メインボーカル・カイト、コーラス・ミクとレン」とある。
カイトがメインボーカルになるのは本当に久しぶりのことだ。ミクは自分のことのように嬉しくなって、楽譜に顔を埋めた。
「ミク!」
その時丁度扉が開き、青髪の青年が部屋へと飛び込んで来た。右手にはミクと同じ楽譜が握られている。お兄ちゃん、とミクがおめでとうの言葉を出すより早く、青髪の青年、カイトが息せき切って喋り出した。
「ミク! これ、マスターが俺のために作ってくれた曲なんだって!」
右手に掲げられた楽譜。満面の微笑み。
「だから俺がメインボーカルなんだって! マスターが俺のことを認めてくれたんだ!」
そうだお兄ちゃんは、マスターのことが好きなんだっけ。
喜々として喋り出すカイトに、ミクはもう、何も言えなかった。
「カイト兄ィ、そこら辺にしときなよ」
開いた扉からひょっこりと顔を覗かせたのは、少し不機嫌な表情のレンだ。
レンの言葉を聞いて初めて自分が興奮していたことに気付いたように、カイトはさっと罰の悪そうな顔をした。高く突き上げた
楽譜を、申し訳なさそうに下ろして行く。
「あー……。ごめんな、ミク」
自分の顔を覗き込む顔は、ただ一人で先走ったことを謝るだけで、本当に何も知らない。
だから言いたいことの全て何処かへ押し遣って、ミクは笑顔を一つ作る。
「いいよ、お兄ちゃん。この曲は一緒に頑張ろうね」
(ほら出来た)
「うん!じゃあ、俺もう行くね」
レンの脇を通り抜け、カイトは出て行った。レンはそれをちらり、と見た後、ミクを見遣る。ミクは泣きそうな目をしていた。
「……もう、止めた方がいいんじゃねぇの」
レンの声に、ただただ無言で頭を振るミク。
だけど頭を振る内に目頭が赤みを帯びて、楽譜にはぽたぽたと染みができていった。
ミクは慌てて手で目元を拭うけど、後から後から涙は止まらない。
「ひっく……ひっ」
(私はお兄ちゃんの幸せを願っているのに、どれだけ強く願っても、わがままが増えていくだけだよ)
「お兄ちゃん……っ」
レンはずっとミクを見ていたが、その内そっと部屋を後にした。
いつの間にか暮れつつある夕日を背にして、歩き続ける。
「オレは、ずっと待ってる」
廊下で一人呟く彼の言葉は、誰も知らない。窓から差し込む夕日がただレンの金髪を、オレンジ色に燃やす。
そうしてしばらくの間、部屋からは微かにミクの嗚咽が漏れていた。