着信履歴
窓際の後ろから二番目の席に座っている彼は、少しだけ気難しい顔をして電話をしていた。
珍しい、と驚いてしばらくの間遠くから見る。
あの何事につけても堅苦しい筋金入りの真面目人間が、休み時間とはいえ教室で電話をするなんて。
――――誰だろ。
首を捻ってみるが、思い当たる人物はなかった。
逆に、彼の部活以外での交友関係なんてヤツは全く知らないのだという事に思い至った。
「誰と電話なんかしてんの?」
通話が終るのを待ち構えていたかのように、傍らに立って言うと、彼は別段動じた風もなく顔を上げた。
「菊丸」
「手塚が携帯使ってんの初めて見たかも」
「…今のは、向こうからかかってきたから仕方なく取ったんだ」
「ふぅん」
さして興味もないようにおざなりに呟くと、菊丸は素早く手塚の手から携帯を奪った。
それを手塚が咎める前に、勝手に開けて履歴を見た。
「へぇ〜。手塚、跡部と電話するほど仲良かったんだ」
「……菊丸。そういうものは、見る前に本人の許可を得るべきじゃないか?」
「ん〜…」
そんな事は百も承知である。
いくら何でも菊丸とて、そこまで非常識ではない。確信犯に決まっているではないか。
そう、目の前の優等生に言ってやりたかったが、菊丸はそのまま履歴を遡った。
手塚の眉間の皺が一層深くなる。
「―――菊丸」
「随分しょっちゅう電話してんだね。着信、跡部ばっか」
「……かけてくるのだから、仕方ないだろう」
「仕方ない、ねぇ」
パチン、と携帯を閉じて、菊丸が視線を宙に浮かべる。
「何が言いたい、菊丸」
「別にぃ〜」
「そもそも、お前は何をしに来たんだ?」
それを聞いて、ふいっと菊丸は視線を落として、初めて正面から手塚の顔を見た。
何を考えているのか分かり難い事この上ない、憎らしいまでの仏頂面を、穴が開くほどじろじろと眺めて、菊丸は手に持っていた辞書を手塚の机の上に置いた。
「これ、不二に返してきてって頼まれたから持ってきたの」
「何でお前が?」
「俺に持って行かせてって、不二に頼んだから」
「は……?」
怪訝そうに顰められた表情に、菊丸はにっこりとキレイに愛想良く笑って見せた。
「わざわざつまんない理由付けてでも手塚に会いたいってコト」
「別に放課後になれば、部活で嫌でも会える」
「分かってないなぁ〜、それじゃ意味がないんだっての!」
益々もって不可解だ、と言わんばかりの手塚に、菊丸は肩を竦めて見せた。
本当にこの男の鈍い事と言ったら、只事ではない。
心の中で、バカヤロウと三回唱えてから、菊丸はやっぱりにっこりと笑って見せた。
こんな笑顔、他の誰にも見せないって事くらいは、いい加減気付いているだろうか。
「……でも、そうだなぁ。今度からはこんな回りくどい真似は止めにすんね」
「は?」
「今度は電話する。かけたら、出てくれるんでしょ?」
「……」
困惑しきって沈黙した手塚に、菊丸はわざわざ握らせるようにして携帯を返した。
それから後ろに手を回すと、自分の携帯を取り出して開き、手塚のそれとは比べ物にならない速さで親指を動かした。
呆然とそれを見ていた手塚の掌の中で、やがて携帯電話が音もなく震え出す。
ディスプレイに映った名前を見て、手塚はハッと顔を上げた。
菊丸は自分の携帯を耳元にやり、微笑んだ。
「仕方なく、出るしかないんじゃないの?」
そう言うと、手塚は一向に止む気配のない掌の中の振動と菊丸とを見比べて、盛大に溜め息を吐いたのだった。