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BOMBER☆松永
BOMBER☆松永
novelistID. 13311
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『百鬼徒然袋―贋』 蜃 薔薇十字探偵の輪郭

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「なに、別に怖がる必要なんてない。呪と云ったって、禍禍しい代物ばかりじゃないんだよ。ほら――おまじない、という奴があるでしょう。ちょっとした願掛けのような。あれも文字にすればおんなじだ。そのように、親が子供に授ける名前は往往にして、かくあって欲しい、こう生きて欲しい、という、ささやかな願いが込められているものです。だから人の名前も呪だ――という訳ですよ。まあ、苗字の部分はまた別の話になるんだが――今回はそこまで触れる必要もないでしょう」
 そう云われると、何となくだが解るような気がする。
「ところで君は、例えば飯綱遣いなどといった、妖怪を使役する術者の話を聞いたことがあるかな」
 突然話が飛んだ。
「使役するための妖怪を捕まえた術者は、そいつに名前を付ける。こちらの名付け――則ち呪は、先程述べたようなおまじない程度の可愛らしいものじゃあない。正真正銘、呪いの範疇に属している。基本的に妖怪は種としての呼び名を持っていても、個個の名前は持ちません。当たり前です、必要ないのだから。そうやって名前を授けることで、術者は妖怪に自我を与え、その上で――縛る」
 そう云った瞬間の中禅寺は、驚く程忌忌しげな表情をしていた。元元彼は仏頂面をしていることの方が多いのだが、もっと根源的に、その術者に対する嫌悪すら抱いているのではないかと感じさせるような、そんな顔だった。その表情のまま彼は、すっと僕の眼を覗き込んできた。


「あれと君たちの関係も――似たようなものには感じられませんか」


 背筋がぞくりとした。


「もちろん君たちには本来の名前がある。それは当然有効です。ただ――先にも云った通り、親のつけた名前は寧ろ未来への漠とした希望であり、拘束力から言えばたいしたもんじゃない。親は普通、子供を使役する目的で産む訳ではありませんから――まあ、例外が皆無とは云いませんがね――いずれ、最初から使役目的でつける名前の方が、呪としての役割は大きいということになります」
 その言葉に動揺した。確かに榎木津に惹かれるものを感じ、会いたいなどと考えていたけれど――それは単純な好意からではなく、彼に掛けられた呪が働いているから、なのだろうか。中禅寺は更に続ける。
「そして一度呪に掛かった以上、逃れる手段は二つしかありません。それは、使役する者とされる者、そのいずれかの死――なんですよ」


 ――急に部屋の中の温度が下がったような、そんな錯覚に捕らわれた。
 僕は何も云えず、ただ中禅寺を見詰めていた。中禅寺もまた、まっすぐ僕を見詰めていた。


 呪に掛かれば、
 逃れる手段は二つだけ。
 使役する者と、される者の――。

 
 不意に――中禅寺が吹き出した。
 その瞬間僕はメドウサの呪縛から解き放たれる。
 中禅寺は云った。 
「本島君も本当に素直な人だなぁ」
 この男が声を上げて笑うことは実に珍しいことだったが、まさに今目の前の彼は涙を流さんばかりに笑っている。 
「名前が呪だの何だのと云う話はさておき、少なくとも榎木津がそこまで考えている訳はありませんよ。第一、本当に呪を掛けるつもりで新たな名前を授けたいなら――毎回違う呼び方をしちゃあ意味がないじゃないですか」
「あ」
 尤もな理屈である。どうやら僕は中禅寺にからかわれていたようだ。
 だが、不思議と腹は立たなかった。むしろ中禅寺の言葉という呪に、まんまと捕われた自分の滑稽さが可笑しくて、僕は相好を崩さずにはいられなかった。やっと馬鹿笑いから解放された中禅寺は、何故か嬉しそうな表情を浮かべていた。
「あれはね、人の名前を覚えるという能力が純粋に欠落しているだけなんです。そして同時に、単に自分が面白いから適当な名前で呼んでいるに過ぎませんよ。気にするこたぁない。その内何か一つに落ち着きます」
 そして彼は、何処か懐かしいものを語るように呟く。
「僕だって今の名前で呼ばれるようになるまでは――随分時間が掛かった」
 そういえば中禅寺は、榎木津と学生時代から付き合いがあると聞いている。当時はまだこの古本屋の主な訳でもないから、当然京極堂などと呼ばれてはいないだろう。
「中禅寺さんは以前、何て呼ばれていたんですか」
 純粋な好奇心から口にした言葉に、中禅寺は微かに困惑した顔で口籠もった後、ぽつりと呟いた。


「――メイゲツ」


 そして新しい煙草に火を点しながら、付け加える用に云う。
「僕の名前は、中禅寺秋彦――ですから」
 最初は何のことだか、解らなかった。
 だが、ふと先程中禅寺が云っていた言葉が、僕の中に蘇った。名前を縮めて呼ぶのが、榎木津の習性だから、セキタツにキバシュウだと。その伝で行けば中禅寺秋彦はチュウアキということになるが、これは些か呼び辛い。ならば元の字ははそのままで、呼び方だけを変えてみればどうか。ナカアキ――ナカシュウ――いや、この漢字の並びなら、もっと適したものがあるではないか。


 その瞬間僕の脳裏には、観たことも無い筈の若き日の榎木津が、満面の笑みを浮かべて「君は中秋か――うん、なら名月だな」と中禅寺に宣告を下す姿が、恐ろしくまざまざと思い浮かんだ。


「ああ!」
 思わず膝を打った僕が、どんな考えに思い至ったのか了知したのだろう。中禅寺は怒っているのか笑っているのか、どうにも判別し難い表情で、煙と一緒に言葉を吐き出した。
「さあ――もう十分でしょう。君にはこんな場所で時間を潰している暇はない筈だ。下僕以下などという、最早何が何だかよく解らない地位まで落とされたくなかったら、さっさとあれの御機嫌伺いに行きなさい。何か手土産の一つも持って行けば、無碍に追い返されることもないでしょうよ」
 そして彼は思い出したように、ああ、と呟く。
「くれぐれも――」
「水気の無い菓子は避けるように、ですね?」
 先回りした僕の言葉に中禅寺は、そういうことです、と云って、また小さく笑った。
 僕もまた、笑顔を返した。

                              【終】