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暑中お見舞い申し上げます

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今年もこの季節がやってきた、と草壁は額から零れた汗を手の甲で拭いながらアルミサッシで区切られた空を見上げた。
 閑散とした校舎。廊下はむっとした暑さとアブラゼミの鳴き声で充満していて、眩暈がしそうなほどである。よろめきながら延々と続くかのように思える階段を一段一段踏みしめる。
 特別管理棟の四階、そこの一番端の部屋が、この学校の中で一番涼しい。夏に最も似つかわしくない学ランのボタンをきっちりと上までとめ、裾の汚れを叩き、姿勢を正した草壁は、小さく咳払いをして重たい扉をノックした。

「委員長。」

「何。」

「失礼します。」

 扉を開いた途端、季節を忘れさせるほど良い風が草壁の長い学ランをはためかせた。窓際のデスクには、頬杖をついて不貞腐れている雲雀。この学校――いや、並盛の頂点に君臨する男だ。
 しかし、今は夏休みで、しかも盆前である。補習も部活もなく、風紀を乱す者どころか、人っ子一人校舎にはいない。
 だから退屈だったのだろう。
 いつもはきちんと整理されている本棚から何冊かの本が抜き取られてそのままになっていたし、革張りのソファは人一人分の形にへこんでいる。恐らく触ればまだぬくいだろう。テーブルの上には淹れかけて諦めたのであろう紅茶のセットが置いたままで、茶請けまで自分で探そうとしていたのか備え付けた戸棚の扉と言う扉は全部開いていた。どうやら、彼の退屈しのぎはことごとく失敗しているらしい。機嫌が悪いのも頷ける。

「何の用。」

 切れ長の目が草壁を射すくめる。それだけでもう、耐性のないものなら尻尾を巻いて帰りたくなってしまう。長い付き合いをしていると自負する草壁ですらそうなのであるから、その威力のすごいことと言ったら無い。
 機嫌を損ねないように草壁は慎重に言葉を選ぶ。勿論怒らせに来たのでも、殴られに来たのでもないのだが、時々草壁はここで失敗をしてしまうのだ。

「委員長、ご実家に、中元が届いています。」

「ふぅん? どこから。」

 どうやら興味を引くことには成功したらしい。草壁は握っていた拳をそっと解いて、息を吐く。草壁はこの瞬間の緊張感は何に比べても劣るまいといつも思う。
 ポケットに入れていたメモを取り出し、草壁は声高に内容を述べる。

「商店街運営会、並盛中央病院、白旺会の若頭、自明党の藤崎、その他色々と。」

 全ての中元の差出元は確認済みである。並盛の者であれば、雲雀の影響力がいかに大きなものであるか、また彼の不興を買えばどうなるのかは身にしみるほどよく知っている。ゆえに、並盛住民からの中元は、数も多ければ質も良い。
 
「フジサキ? 初めて聞くな。」

 だから、雲雀もなじみの者からの中元には目もくれない。貰って当然と思っているのだから仕方の無いことなのかもしれない。
 雲雀の興味は常に、新しいもの、面白いもの、ただ、その一点に絞られるのだ。

「恐らく、来年の衆議院選挙のためかと。」

「ふぅん。中身は?」

「さあ。そこまでは。」

 首を振って草壁は頭を垂れた。新規参入者が現れたときの、次なる命令は決まっている。それはもう、毎年毎年、同じように繰り返されるのだ。

「そう。じゃあ、家に帰って包みをあけよう。それから、」

 き、と小さな音を立てた回転椅子から、雲雀がすくりと立ち上がる。ざわ、と通り抜けた風が、今度は雲雀の黒い学ランの上着をはためかせる。舞い上がった漆黒の髪の毛を無造作に掻き上げた少年は、飛び切り美しい笑みを作ってこう言うのだ。

「僕の気に入るものじゃなかったら、盛大に咬み殺しに行こう。」

 急に生き生きとし始めた雲雀を見ながら、草壁は中元という名の貢物の中に、雲雀の嫌いな食べ物が入っていないことを切実に願った。






作品名:暑中お見舞い申し上げます 作家名:水狸