微睡み
その愛は隣人愛のようなもので、私の望んでいる愛ではなかったけれど、それでも良かった。
だって、兄さまの愛というのは、私に注がれている類のものしかないと思っていたから。
だから、ひどく驚いた。
私の兄さまがあんな顔をするのだと。
彼の人の一言一言に、くるくる表情を変えて。
どこかで見た覚えがあると思ったら、ちょうど私が兄さまに向けるのと同じ、恋をしているような顔だった。
私の知らない兄さまの顔。
愚かな私は、自分が特別な存在だと勘違いしていて
「兄さまとローデリヒさんって、なんだか似ていますね」
やっと口から出たのはこんな言葉で
「なっ!リヒテ…!何を言っているのだ!!」
もう、傑作だ。
兄さまの愛のかたちは他にもあったのだ。
ポツン
ポツポツ
雨音が聞こえてくる。
あれから、兄さまは急なお仕事が入り、しょうがなく一人で岐路についた。
いつもはすることだらけで、今日も例にもれないはずなのだけど、もう何もする気になれずに、ベッドに埋<うず>まっている。
「雨…」
雨が降ると必ず思い出すのは、あの日のこと。
あの時のことは鮮明に覚えている。
何年経とうと、何が起きようと、忘れることはないだろう。
あの日、――兄さまと初めて出会った日も、こんな風に雨降りの日だった。
「また降って…、……!?」
恵みの雨だなんていうけれど、あのときの私には恵みどころか体の熱を奪うだけのもので
思いがけずこみ上げてきた咳に、口を手で覆い隠す。
手を離すと、いとも鮮やかな赤が手の中にあった。
「…血まで吐くようになってしまいましたか」
諦めにも嘲笑にも似た呟きは、雨の音にかき消される。
だんだんと薄らいでいく意識の中、雨音しかなかった世界に差し込んできたのは、
「……い…おいっ!お前!」
貴方の声。
あの日は、貴方と初めて出会った日。
私たちが兄妹になった日。
「大丈夫であるか?」
差し出された手に、必死でしがみついた日――
目がさめると、世界がぼやけて見えた。
頬を濡らしているのは自分の涙。
どうやら寝ている間に泣いていたようだ。
雨は依然と降り続いている。
…親愛なる兄さま
私たちはまだあの日から動けないのでしょうか?
(兄さま、雨はまだ止まないのですか?)
朝、昨晩の雨はすっかり止み小鳥たちが鳴いている。
窓を開け深呼吸すると、爽やか空気が体の中に入ってきて、どこか空しかった。
目を覚ましに庭へ出てみると、ベンチに座っていた兄さまとはちあわせた。
愛しい、愛しい
私だけの兄さま。
「む リヒテンか。おはようである」
いつもと変わらない優しい兄
「…兄さま 今日昔の夢を見て、それでお聞きしたい事があるのです」
『もっと違う出会い方をしていれば、私は"妹"にはならなかったのでしょうか』
「…どうしてあのとき私を助けてくださったのですか?」
「朝からいきなりそんな質問をするであるか!」
「だって、あのとき兄さまも大変だったと聞いたのです」
兄さまからの答えなんて分かりきっているけれど、何故だか聞いてしまった。
…どうせ、後悔するに決まっているのに。
「そ、それはだな…人として当たり前の行為であり…
国としての使命である!!だからその……」
ぶっきらぼうだけど、本当は優しい兄さま。
でも、
優しい"兄"としての笑顔を向けられるより
「いや……。ただ放っておけぬと思った。こうして元気になって良かったと思う…」
醜い欲で汚してくれた方がどれだけ良いだろう。
「…ねぇ 兄さま」
胸の奥に、一生伝えられないであろう想いを抱き
「私、幸せです」
今日も妹は貴方の隣りにいるのです。