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交じり合わない線の上

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ばちん! 小気味のいい音が響いて、しかしその音はすぐに書斎にある幾多もしれぬ本の間に吸い込まれていった。天井から吊るされたシャンデリアの明かりだけが、真夜中の部屋を照らしている。
 ロンドン市内、比較的人通りの多い道路を一本奥に入ったところ――秋の風景が好きだと以前彼は言っていた――に、イギリスの自宅があった。「滞在中は好きに使ってくれ」、と邸内に足を踏み入れた本田が案内されたいくつかの部屋の一つに、この書斎も含まれていた。ここにある膨大な量の書物はすべてイギリスのものだ。この部屋の何処かにかつて自分が贈ったものもあるのだろうかと通されたときに探してみようとしたことがあるが、本の量はあまりにも多かったし何しろここにあるという確証もないので、五分も経たないうちにその考えは捨てた。ここにあるかどうかどころか、彼が持っているかもわからないけれど、多分持っているのだろう。イギリスは日本のことを愛していたので。
 その自分を愛しているというイギリスの頬を叩いた日本の右手は、じんとした痛みと熱を脳髄に伝えていた。右手が心臓になったみたいだと思った。イギリスは叩かれた頬を赤くして、日本の黒い瞳を見つめている。イギリスの緑のそれから感情を読み取ることはできなかった。ただ日本の眼は、波をたたえて、不安げにゆれていた。叩かれたというのに顔色ひとつ変えず、赤くなった頬を左手で抑えながら自分を見ているこの人は、何年経っても何を考えているのかわからなかった。外に風は吹いていない。夜中だから車の走る音も聞こえない。動物の鳴き声も木々の揺れる音も。ただ静かだった。二人の呼吸の音が聞こえる以外は。
 この書斎はイギリスの気に入りの場所で、たとえば読書をしたいとき、ここにやって来る。あるいは執務室は使用人の出入りが多いので、書斎に閉じこもって手紙を書いたり、調べ物をしにここに来ることも多い。仕事がまだ片付かない内に来客があったとき、ここに通すこともある。ここには英語だけでなく各国のさまざまな言語で書かれた本があったし、絵や写真の入った図鑑も数多く揃えられていた。
 窓際にはテーブルと、それから二人掛けのソファがテーブルを挟んで向かい合わせに置かれている。そこに差し向かいで座って、イギリスと日本は本を読んでいた。新しく出版された本も勿論読むが、古書めぐりも趣味の一つで、週末になるとマーケットに足を運んでは興味のある本を買うのが好きだった。たまに見かける古地図も、懐かしくてつい一緒に購入してしまう。そこで買ったものは大抵この書斎に持ち込まれ、本棚の隙間あるいは引き出しに入れられ、そして忘れられていく。しばしばこの部屋の主あるいは来客によって、ひっそりと思い出されるのであった。ここはイギリスの記憶と回想の部屋だった。
 イギリスが淹れた紅茶を飲んで、ただ一言も話さずに、本のページを捲る音だけが聞こえる中で、互いに読書に没頭していた。日本はすっかり本の世界に入っていたので、イギリスが名前を呼んでも一回目は気づかなかった。二回目でようやく顔を上げてどうしたのかと訊ねると、至極真面目な顔で「打ってくれ」と言うのだった。
 聞き間違いだと思った。もしくは夢だと。彼の特殊な嗜好については慣れたつもりでいたが、やはりまだついていけない。無表情の下でばれないように皮膚に爪をたてたが、痛かったのでどうやらこれは現実らしい。本の世界から次第に引き戻される感覚。
「……打つんですか?」
「ああ」
 読んでいた本から視線を上げて訊ねると、イギリスは案の定真面目な顔で頷いた。本気だった。実のところ日本は、自分が痛みを感じるのは嫌だが与えるのは苦手ではなかった。かといって好きなわけでもない。けれど、打たれるか打つかしろと言われれば、打ちに行くのが彼だった。日本は本を閉じテーブルに置いて立ち上がると、イギリスの座っているソファの脇に立った。そして右腕の着物の袖を捲くり、大きく息を吸い込む。イギリスが息を呑むのがわかった。吐き出すよりも先に、右手を振り切った。
 そして冒頭に至る。その瞳は今や恍惚として潤んでいる気さえした。その眼を睨みつけるように、日本は吐き捨てる。
「あなたってほんとうに気持ち悪いですね」

20100811
『交じり合わない線の上』
作品名:交じり合わない線の上 作家名:千鶴子