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【CM78新刊】鎖ないだ手を離さない

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 ――それは遠い記憶の断片だ。
 辺りは真っ暗な闇だ。
 ゆらゆらと揺れる二本の足が、立つ場所をいくら探しても無駄だった。必死にしがみついた手の感覚はもう麻痺しかかって、かろうじて引っかかっているだけの指先が、闇の中で嘘のように白く浮きあがって見える。
 助けを呼ぶ声はあまりにも小さすぎて、誰にも聞こえない。
 それでも少年は、必死に声を絞り出した。
「だれ、か……たすけ、て」
 みんな、どこへ行ってしまったの?
 ぼくはここにいるのに。
 どうして誰も見つけてくれないの?
 どうして誰も助けに来てくれないの?
 まだ空が明るかった頃、一緒に笑いあっていたはずの皆は、少年のことを忘れてしまったのだろうか?
 大好きだったはずの世界の中で、突然自分がひとりぼっちになってしまったことに少年は絶望する。
 こんな絶望を感じることははじめてだった。
 このまま、誰にも知られることなく、自分はこの暗い闇の中へと落ちてしまうのだろうか。
 ぽろぽろと涙が零れた。首を伝って涙が服を濡らしていく。
 がくん、と身体が揺れた。
 左手が限界を迎えたのだ。もう、少年を支えてくれるのは頼りない片手だけ。
 立っている場所を、居場所を失うことが、こんなにも恐ろしいことだなんて。
 すっかり震えあがった少年の咽喉からは、もう声も出ない。
 この気持ちはきっと、誰も分かってくれない―。
 絶対的な孤独に絶望して、少年は諦観に瞼を伏せる。
 それでも、大好きな誰かの手が、この手を繋いで離さないでいてくれることを信じながら。



 世界は間違いなく、崩壊へと向かっていた。
 様々な困難の末、秩序の神に選ばれた十人の戦士たちはそれぞれのクリスタルを手中に収めることに成功した。
 秩序と混沌。二柱の神に選ばれた戦士たちの終わり無き戦い。それを終結させる最後の希望とまで云われたクリスタル。さあこれからが本番だと戦士たちが決意を新たにしたところで、秩序の神―コスモスは、混沌の神の紅蓮の業火に身を焦がし消滅してしまったのだ。戦士たちの目の前で、誰一人も何ひとつ出来ぬまま。
 柱のひとつを失った世界はあっけないほど簡単に均衡を崩した。元々不安定だった時空の歪みも広がりを増し、混沌の色に染まろうとしている。
 主を失った、秩序の戦士たちの肉体も、また。
「闇よ! 魂の叫びを!」
 セシルの暗黒騎士の剣を真似た得物で、バッツは眼前のイミテーションの胴を容赦なく突き刺す。硝子の割れるような音をさせて、全身に亀裂の入ったカオスの者たちの駒、イミテーションは、鈍い断末魔を上げて砕け散る。
 ここ最近、にわかにイミテーションの能力が上昇していると感じられるのは、バッツの気のせいではないだろう。秩序の神の力が失われたことが原因か。
 闇色の細い剣を、しゃんと軽やかな音とともに光へと溶けさせたバッツの背後に無機質な殺気が奔る。新たに襲い来るイミテーションに、バッツは瞬時に光の剣士の盾を具現する。相手の剣を弾いた盾を、そのままイミテーションめがけ放り投げる。直撃を受けた相手がよろめいた隙に、フリオニールの長槍へと武器を持ち変える。身体の回転する勢いで、歪に光るイミテーションを、槍の描く軌跡に巻き込んで吹き飛ばす―。
「―っう!」
 最後の一撃を加えようとした瞬間。誰から攻撃を受けたわけでもないのにバッツは小さく上がった悲鳴を口の中で押し殺した。脳天から爪先まで、身体中を駆け抜けた鈍い痛みに思わず膝を折りそうになる。―だがしかし、それは力を増したイミテーションの前では「どうぞ殺してください」と言うようなもの。なんとか足を踏ん張り、バッツは渾身の力を籠めて槍でなぎ払う。当初の予定通りに吹き飛ばされたイミテーションが、遙か彼方で光へと消えたのを認めてから、バッツは大きく息を吐いた。
 両手を両膝につけて、肩で息をする。苦しい。身体のあちこちから、あのとき―コスモスが消えた直後と同じような、揺らめく光が立ちのぼっている。
 その光は、きっと自身の存在を構成する要素。度々襲い来る、存在そのものが消えてしまうような痛みに、秩序の戦士たちは耐えながら戦い抜いていた。
 以前、まさに自分たちの存在が真の闇へと消えかけたときは、コスモスの残したクリスタルの力で奇跡的に存在を、主である神を失った世界に残すことが出来た。しかし奇跡はそう何度も起こらない。時が経つに連れ、身体からこの光が漏れ出ていくことが多くなっている。
 残された時間は少ない。いつまた身体が消え、自分という存在がなくなってしまうのかも分からない。だから、一刻も早く混沌の神とそのしもべの戦士たちを倒さなければならない。
「……くそっ」
 光がゆっくりと立ち上っていく己の掌を見つめ、バッツは短く呪詛を吐く。消える前に倒すか、倒す前に消えるか。どちらにせよ、時間がない。そのことが、自由気ままなはずのバッツを焦らせる。
 遠くの方でパァンと何かの爆発するような音が聞こえて、バッツは踵を返した。はぐれてしまった仲間の戦う音だろう。無事を信じながら、バッツは音のした方へ向かう。その頃にはもう、身体中を奔る痛みが消えていたことに安堵しながら。