This city is missing you.
「…………」
書類には手も付けずにデスクで携帯電話をいじりながら、臨也が気だるげに呟く。
「でも連絡するのはいっつも俺の方からだしなぁ……いい加減しつこいかなぁ……」
「…………」
「今日は取り立ての仕事は臨時休日で暇なはずだし、会いにきてくれないかな……くれないよなぁ、相手はあの究極のツンデレのシズちゃんだもんなぁ……」
「…………」
「あーあ……何か仕事やる気無くなってきた。もう今日は終わりにしよっか、波江」
「…………勤務時間はまだ残ってるけど」
「給料はちゃんと正規の分を払うから。じゃ、お疲れ」
「…………」
一方的に話を切り上げて寝室に閉じこもってしまった雇い主に、波江は心の底から溜め息をつく。
―――ほんと、どうしようもない奴ね。
臨也が『そういえば、俺、シズちゃんと付き合うことになったんだ』とさらりと告げてきたのは1ヶ月ほど前のことだっただろうか。何故よりによって貴方と平和島静雄が、と波江もさすがに驚いたものの、大して興味も無かったので『へぇ。良かったわね』とだけ返しておいた。
しかしそれ以来、静雄を理由にして、今日のように臨也が仕事を放棄することが度々になっていた。それによって波江の仕事が増えるわけでも給料が減るわけでもないので、彼女としては特に問題は無かったはずなのだが……
―――何であいつの私情で私が振り回されなきゃならないのよ。大体、私と誠二を差し置いて何であいつらが……
自分たちの関係を見せつけるかのような臨也の態度に苛立ちを募らせる波江は、遠慮なく残りの仕事を明日に回すことにしてさっさと帰り支度に取りかかる。しかし書類を片付けている内に、以前から疑っていたある可能性に思い当たって少し冷静さを取り戻した。
―――ま、『付き合ってる』ってのも怪しいものではあるのよね……
正直なところ、彼女は彼らが本当に相思相愛であるかについては半信半疑だった。そもそも臨也が誰か一人を愛せる人間だとも思えないし、その相手がつい最近まで殺し合っていた同性の男だというのも解せない。
―――平和島静雄を操るために、好きなフリして近付いてみたってとこかしら。どうせ、また変なことでも企んでるんでしょう……
臨也が真意を隠した行動をとるのはいつものことである。そう考えると、静雄に関する彼の発言も妙に芝居がかったものに聞こえてしまう。
どちらにせよ、あんな奴にたぶらかされるなんて平和島静雄も随分間抜けな男ね、と結論を出して波江が腕時計を見ると、彼女の愛する弟はまだ学校で授業を受けているはずの時刻だった。
―――久しぶりに池袋へ誠二の顔を見に行こうかしら。今から行けば、あの子が下校する時間に充分間に合うわ。
一転してうきうきとし始めた波江は、弟を待ち伏せするポイントを頭の中で検討しようとした……のだが、まさにその瞬間、来訪を告げるインターホンの音が部屋に鳴り響いた。弟への想いを邪魔するかのようなタイミングに彼女は盛大に舌打ちをする。しかし当然のように臨也が出て来る気配も無いので、仕方なく彼女がモニターの前へ移動すると、見覚えのない中年の男が一階のエントランスに立っている姿が確認できた。
「はい、どちら様ですか?」
「あ、山崎さんのお宅でしょうか?」
「……いえ、違いますけど」
情報屋という仕事柄、有害な人間を引き寄せてしまうことも多いため、オートロックの開錠には日頃から慎重になっていた。だが、どうやら今回はただの番号の押し間違いらしい。人の好さそうな声をした中年の男は、謝罪の言葉を述べるとあっさりと通話を終えてしまった。
波江も通話を終えるボタンを押して軽く息をつき、今度こそ帰ろうとしたのだが……
―――……ちょっと実験してやろうかしら。
珍しく彼女の中に遊び心が生まれていた。実際、それは実験と言うよりは身勝手な上司に対する意趣返しのようなもの、もっと言えば悪戯に近いものだった。
波江はその上司がいる寝室のドアへと近付く。インターホンの音は彼の耳にも届いていたはずだ。
そして彼女はドアを軽くノックし、部屋の中の彼に向かって声をかけた。
「臨也? 今、平和島静雄が下に来て―――」
彼女が最後まで言い終わらない内に、ドサッという何か重い物が落ちる音がした。それに続いてバタバタと走る足音が近付いてきたかと思うと、通路に一歩下がった波江に向かってドアが勢い良く開かれた。
「……っ、嘘、シズちゃん来たの!!!???」
廊下に上半身を突き出すように前傾姿勢になってドアノブを握る臨也を、波江は静かに見下ろす。
その特徴的な赤い両目は驚きと喜びに見開かれ、ついでに口も半分開いていた。心なしか頬も上気しているように見える。少し乱れた彼の髪や先程の騒がしい音から判断するに、ベッドに寝転がっていたところを大慌てで飛び出してきたのだろう。
波江は憎らしい程に取り澄ました普段の臨也の姿を思い出しながら、動転し切って自分を見上げる彼に向かって悠然と微笑んでみせた。
「―――いえ。平和島静雄が来ると良いわね、と思って」
「…………………やっぱり減給にしておくから」
直ぐにからかわれたことに気付いた臨也は、それだけ言うとそのままドアをバタンと閉じてしまった。さすがに持ち直しが早い。それでも滅多に見られない雇い主の醜態に、波江は大いに溜飲を下げていた。
―――なるほど。何があったか知らないけど、どうやら本気であの喧嘩人形に惚れちゃってるみたいね。
彼らは策略とは無縁の純粋なお付き合いをしているに過ぎず、さっきの『シズちゃんに会いたい』という発言も本心だったようだ。もちろん普段の波江なら、それを知ったところで気味悪がるなり鼻で笑うなりして終わりにするところだったのが……
どういったわけか、今の彼女はひどく寛容な気分になっていた。あるいは、臨也が見せた幼いとも言える反応に、誠二に対してしか働かなかったはずの彼女の中の母性本能が刺激されてしまったのかもしれない。
―――仕方ないわね。今日はもう少し相手してやるか。
「臨也、開けなさい」
「……何? まだ何か用?」
ガンガンと今度は少し乱暴にノックをすると、カチャッという音と共にドアが細く開かれ、臨也の顔が半分だけ覗いた。思いっきり不貞腐れたその表情に、波江は思わず微笑を漏らす。
「早く支度しなさい。出掛けるわよ」
「……出掛けるって……俺と波江が二人で? どこに?」
「あら、そんなの……」
彼女の愛する弟が今も高校生活を送り、情報屋の愛する取り立て屋が退屈な休日を送っているはずの街。
「もちろん、池袋に決まってるじゃない」
作品名:This city is missing you. 作家名:あずき