制御不能
───…初めて父に頬を叩かれたあの夜、きっと私は覚醒していた。幼少期、家に入ってきた強盗を自分の手で殺したとき、父は初めて父親らしく私を抱き締めていた。その時とは違う、厚い抱擁等ではない、鋭い痛み。
きっと、父は変わってしまったのだ。娘である私をほとんど愛情を注がずに育たせた結果が、人殺しだった。一対多数に勝ってしまった私を、きっと自分の責任であると考察し親子の縁を切ったのだ。
哀しくないと云えば嘘になる。親子に戻りたくないと云えば、嘘になる。
私は誰かに愛されたかったのだ。破壊衝動を繰り返し、力をつけていく私を見捨てないで欲しいと、儚くも願ってしまったのだ。
例え、自分が誰かを愛する事が無くとも。
──気付けば、世界は反転し、ヴァローナは目覚めていた。
久しぶりに昔の夢を見たものだ。らしくない、嫌な汗まで額を伝っていた。あれから覚醒した私は、今こうして日本で静雄やトム達と、それこそらしくない借金取引の仕事をしている訳だが。
今日も何時もの様に仕事が待っている。
夢を見たせいだろうか。頭の中で、壊せ、という言葉が反芻している。壊せ、壊せ、壊せ、壊、せ。こ わ せ。
駄目だ、また衝動に駈られる。
…嫌な予感は、していた。
何時もの面子が揃い、一件目の人物に会ったときだった。その男はいかにも事業に失敗したような顔付きで、しかしやたらに派手な衣服を纏い、言い回し文句を着けながらトムと長い間喋っていた。
「ヴァローナ、」
やがて痺れを切らしたのか、私の名前が呼ばれる。出番だ。
私は男の頸椎に素早く手刀を叩き込んだ。男はうッと声を出してその場に倒れ込んだ、それは良かったのだが、まだ微かに動いていた。だ、め、駄目、もっと、もっと、もっ、と、
頭を抱えてしゃがみ込む。異様に、目が、視線が動いてしまう。
「おい、ヴァローナ?」
先輩の声が背後から聞こえる。
気が付けば、私は空いていいる方の手で隠していたピックを取り出し、走り出していた。
人通りの少ない裏路地に、男の絶叫が響き渡る。
どうやら急所を外してしまった様だ。早く、壊してない、壊さないと、壊せ、壊せ、壊せ、壊せ、
再び襲い掛ろうとした私の肩が、骨を潰さんと云わんばかりの力でそちらを向かされる。
「…ッ…!」
「…ッ、おい!ヴァローナ!!」
先輩が叫んでいる。辛そうな顔で。目の端で、トム先輩が男の方に回る。私は声を絞り出す。
「…ッ、止め、ないで、」
右が私のゆうことを訊いてくれない。ピックには、力が込められるばかりで。
壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ、壊せ、
声が、頭の中でずっと鳴り響いて止んでくれない。力が入った右は誰かを壊したくて堪らない。
私は先輩をギロリと睨み、尚も力を込める。先輩も又、私の両肩を掴んでいる手に力を込める。
「ッおい!!」
耳に何も入らない。私は大きく右手を振り上げた。
…鉄の臭いがする。私の右肩を掴んでいた先輩の左手から、どんどん力が抜けていく。
私は涙を流していた。辺りの錆びれた空気の臭い、大量に流れる先輩の血の臭い、力が抜けないままでいた私の右のピックがみしりと音をたてた時、私は堪えきれず、叫んだ。
同時に、空いている私の左手を先輩の右手がぐんと引っ張り、私の頭を抱え込む。
私はただ、何にも縋れず、空いている手で先輩の服を掴む事も出来ず、ただただ地面に力を落としていた。
なのにやはり右腕は、力を抜く事を知らない。
先輩が更に私を腕の中に引き寄せる。その反動で、ピックはもっと奥に進んだ。
「大丈夫だ」
耳元で先輩が囁いている。その声すらも、今の私の鼓膜を震わせる事は出来なかった。
やはり私は、ただ涙を流す事しか出来なかった。
制御不能.
(あなただけは、壊したくないのに、)
(だって、あなたは、)